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<a href="http://secret.ameba.jp/frederic-chopin/amemberentry-12007269621.html">『経済学入門 / 林直道』を読了③</a>

第Ⅱ篇 経済の歴史と未来

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第1章 労働と生産の歴史

 目的にしたがって手または手の延長である道具をつかって自然界にはたらきかけることを労働という。人間と動物のちがいは、労働するかどうかというところにあったのである。
 人間はさまざまの道具をつくり、古くなればとりかえ、どんどん新種を発明する。だから人間の身体器官は無限に補強され延長される。こうして人間は万能の力を身につけ、自然を征服することができたのであった。


 労働によって、生活上の必要物をつくりだすということ、――いうまでもなく、それが《生産》である。生産がおこなわれなければ、人間は生きてゆくことができないし、社会の発展もない。だから生産こそは、社会生活のなかで最も重要なことがらである。
 労働過程の諸要素――労働、労働対象、労働手段――が一つに結びつき、物資を生産する力として働くようになったものを生産力という。生産力は、人間の自然を変革する能力の発達水準をあらわしている。
生産力を構成する基本要素は、人間の労働と、過去に人間の労働がくわえられた生産手段とである。
 物的な生産力のうちで最も重要な役割をえんじたのは、生産用具であった。さまざまの時代の経済の発展水準を見さだめるうえでは、その社会で、なにが、どんな生産物がつくられていたかということは二の次の問題であって、それよりも、どのようにして、どんな用具をつかって生産がおこなわれていたかということが大切である。生産用具の遺物は、滅亡した過去の社会の経済の構造を知る重要な手がかりであって、それはちょううど、絶滅した動物の遺骨をみるとその動物の身体組織がわかるのと同じである。


 最大の事件は、いうまでもなく近代的な機械の出現である。
 機械制生産は、18世紀から19世紀20世紀にかけての産業革命をつうじて確立された。

 生産力の発展とともに、人類が生活資料をつくりだすために働かねばならない時間も、少なくてすむようになった。大昔の人間は朝早くから夜おそくまで十何時間も働かねばならなかった。現代の世界では八時間労働あるいは七時間労働が基準である。将来はこれが四時間労働あるいは三時間労働ということになるかもしれない。そうなれば、もう労働はほとんど苦痛ではなくなる。芸術と科学とスポーツのための、その他もろもろの人間的資質の向上・発達にあてられる大きな自由時間がかくとくされる。人類の未来は光に輝いているのである。

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第2章 経済制度の歴史

 生産にたずさわっている人間と人間とのあいだでは、かならずなんらかの社会的な関係がとりむすばれる。
生産における人と人との関係(社会的関係)を生産関係とよぶ。前章で述べた「生産力」が人間と自然との関係をあらわしたのにたいして、「生産関係」は、人間と人間との社会的関係をあらわしている。経済制度とはこの生産関係のことであって、この生産関係をもとにしてそれぞれの社会(「経済的社会構成体」)の骨格が形成されるのである。
生産関係(経済制度)の基本を決定するのは、生産がおこなわれるとき、「生産手段をだれが所有しているか」ということ、つまり生産手段の所有形態である。生産関係のタイプは大きく分けてつぎの二つからなる。

 第一は、生産にたずさわる人びと全体が生産手段の所有者であるというばあい。たとえば原始時代の共同体がそうであった。
また社会主義でもそうである。
 生産手段が社会全体の所有物であるばあいには「階級」というものは存在しない。人びとは、たがいに平等な関係におかれており、搾取ということがおこらない。したがって搾取のシステムを維持するための、階級間の支配・従属という関係は存在しないのである。

 第二は、生産手段が人びと全体の所有ではなく、特定の人間集団だけが生産手段を所有し、ほかの人間集団は生産手段を所有していないというばあいである。このように生産手段の所有関係、そこから生じる生産上の地位によって区別される人間集団が階級である
奴隷制度、封建制度、資本主義の三つが階級制度である。
生産手段を所有する階級と、生産手段を所有しない階級とのあいだには支配―従属の関係が生まれた。そして所有階級は、労働することからはなれ、もっぱら労働を監視・管理する立場にまわり、生産物の大きいわけまえをとった。これにたいして、所有しない階級は、労働の仕事を一手に引きうけながら、生産物の少ないわけまえしかもらえなかった。つまり、その労働の生産物の一部分を搾取された。そこで二つの階級のあいだには、階級的な利害対立にもとづく階級闘争がくりひろげられたのである。

 以上のような、生産手段の所有ということを中心にしてかたちづくられる人間と人間との関係、すなわち生産手段の所有関係、生産における人間と人間とのたがいの地位(相互協力か支配従属か)、生産物の分配関係などを、ひっくるめたものが「生産関係」である。

生産関係の型生産手段の所有支配する階級支配される階級
原始共同体共有(階級はまだ発生していない)
奴隷制私有奴隷所有者階級奴隷階級
封建制度私有封建領主階級農奴階級
資本主義私有資本家階級労働者階級
社会主義(低い段階)
      (高い段階)
共有(労働者階級とコルホーズ農民階級)
(階級は消滅する)

 これらの生産関係は、生産力(自然に働きかけて物を生産する力)のそれぞれの発展段階におうじて形成された。たとえば、生産力がきわめて貧弱なために人びとが共同で労働する以外に自然の猛威にうちかつことができなかったころには、それにふさわしい原始共同体という生産関係が存在した、生産力が発展してゆくと、それに対応した新しい生産関係が出てこざるをえなくなり、この新しい生産関係は生産力のいっそうの発展に道をひらく。ところが、やがてこの生産関係も古くなり、生産力の発展に役に立たなくなって、またべつの新しい生産関係にとってかわられる。……このように生産力の発展を基礎として、つぎつぎと生産関係が交替してきたのである。
 原始共同体が崩壊して奴隷制度に移ったばあいのほかは、経済制度の交替は階級闘争と社会革命をつうじておこなわれるのがふつうであった。


 人間のいちばん最初の経済制度は原始共同体とよばれている。共同体の内部では、人間の性や年齢による体力のちがいにおうじて「自然的な分業」がおこなわれていた。
 この社会では生産物の分配は共同体のメンバーのあいだに平等におこなわれていた。それは、この社会では土地や労働用具など、すべての生産手段が共同体全体の共同所有物となっていたことによるものであった。人類史の始源は、こういう原始的な共産主義の社会であった
私有財産制度(生産手段の私有制)に馴れてしまった人びとは、このエンゲルスの学説をなかなか認めようとはしなかった。けれどもその後いろいろの学者の研究や旅行者の見聞によって、それが事実であり、科学的な正しい主張だということがたしかめられている。
 だが、搾取がなく、平等だといっても、原始共同体をすばらしい社会とみるのはまちがいである。生産力が低かったから、人びとの生活はみじめであった。
 生産手段の共有、生産物の平等分配というこの時代の経済制度は、じつは、この社会の生産力の低さからきたことであった。
この時代の生産用具は、
ひじょうに幼稚で貧弱なものばかりであった。だから、狩りをするにも、共同体の人間が総がかりで、力をあわせてしなければならなかった。そこで生産手段は共同体全体の共有物となったのである。また生産物はきわめて少なく、共同体メンバーを養うのに、せいいっぱいであった。だからだれかが余分にとることができなかったのである。つまり、労働手段の貧弱だったことが、集団労働を必然的なものとし、このことが生産手段の共同体所有と平等分配の制度を生みだしたのであった。

 ところが、労働手段が進歩し生産力が発達してくると、もはや共同体が総がかりで生産にとりくまなくても、数人単位で生産することができるようになった。そこでいちばん近い血縁の集まりである家族という小集団が共同体のなかに出現した。家族は、歴史のはじめからあったのではなく、生産力があるていどすすんだ段階に生まれたものである。いまや家族が生産の単位となった。そこで生産手段もだんだん個々の家族の私有物にかわっていった。
生産物の余剰ができるようになり、富んだ家族と貧し家族とへの文化があらわれた。こうして原始的共産主義経済はしだいに崩れていったのである。

 なお、原始共同体制度は、おおむね母系社会であった。これは、男のおこなう狩りよりも女の牧畜・農耕のほうが収穫が確実だったことによるものであった。さらに、この時代の結婚は一夫一婦でなく乱婚だったので、子どもの父親がだれなのか、はっきりしなかった。だから財産は女親から女の子をつうじて相続され、他部族へ富が流れ出るのを厳重に防いだ。生産力がすすんで、人びとが家庭に定着し、農業・牧畜が主な仕事になり、しかも体力のいる生産用具(動物にひかせるスキ)がつかわれはじめると、男のほうが経済的に重要な役目を果たすようになった。そこで母系制は滅んで家父長制度にかわったのである。


 私有が発生すると、いままで共同体の指導者すなわち族長だったり、祭司役をつとめていたものが、その地位を利用して共同体の共有財産をしだいに私有物にかえてゆき、いちばん多くの富をたくわえるようになった。ところが、生産用具の発達、生産力の発達は、もう一つの重要な変化をもたらした。それは労働によって人間が剰余生産物を、すなわち自分の生活に必要な分量以上のものを、つくることができるようになったことである。このことは、ほかの人間を働かせ、その剰余生産物をとりあげること(「剰余労働」を搾取すること)が可能となったことを意味している。こうなると、いくさの捕虜の運命に変化がおこった。
 争いがおわると、捕虜が共同体へつれてこられた。生産力が低くて、人間の労働によって自分の食べる分しか生産できなかったころには、捕虜を働かせてその剰余生産物をとりあげることができないから、捕虜は殺され、喰われてしまった。原始人が人喰い人種だったのはそのためであった。
 ところがいまや、その捕虜が労働するならば、この捕虜が生きてゆくのに必要な分と、なおそれ以上のいくらかの剰余の生産物とをつくりだせるようになった。そこで、捕虜を殺さないで、労働させ、その生産物を搾取するということになった。つまり捕虜は奴隷となったのである。
 捕虜だけではなくて、共同体のメンバーのなかからも奴隷になるものがでてきた。
 こうして社会は、「奴隷所有者」と「奴隷」という二つの人間集団、すなわち二つの階級に分裂したのである。
 奴隷所有者階級は、いつ奴隷が反抗しても、これを鎮圧できるように、とくべつの機関をこしらえ、武装した人間を常置した。この階級的抑圧機関が国家である。
 さて、奴隷制という経済制度(生産関係)の特徴は、支配階級が生産手段を私有しているだけでなく、奴隷をも生産手段と同じように私有していたことである。奴隷は、同じ人間でありながら、人間としては扱われなかった。

 奴隷制度は、たえず新しい奴隷が供給されなければ、成り立たない。そこで奴隷かくとく戦争がひんぱんにくわだてられた。このばあい軍隊の主力を構成したのは、自由民すなわち小農民と手工業者であった。ところが、かれらは生産物の一部を商品として市場で販売したが、奴隷所有者の大経営でつくられる安価な商品との競争にうちまかされるため、貧しかった。そのうえ、うちつづく戦争で、国家の租税とりたてがひどくなったために、しだいにおちぶれていった。そこで軍隊が弱くなるのは当然だった。敗戦がつづいた。新しい奴隷は、もう手に入らなくなった。奴隷が不足したので、奴隷制は頭うちとなり、経済はおとろえていった。
 奴隷制度にとどめをさし、これを崩壊させたのは奴隷の反乱であった。社会を袋小路からすくいだし、経済をいっそうすすんだ、高度な段階へおしあげたのは、奴隷の階級闘争の功績だったのである。
 けれども、奴隷は、自分たちが主人公となって、搾取と抑圧のない社会をつくりだすことはできなかった。


 奴隷反乱のためにゆきづまったもとの奴隷所有者たちは、譲歩せざるをえなくなった。かれらは、奴隷の身分を解放し、奴隷に小さな土地を分与し、農具や作物のタネや食料をあたえて、耕作させるようにした。
 封建制度という経済制度の特徴は、領主が大きな土地を所有し、それを農奴に分与し、そのかわりに、農奴の労働を搾取したことにある。ここで注意を要することは、農奴は、奴隷とちがって自分の経営をもっていたことである。かれらは、土地を所有することはできなかったが、農具を所有し、自分の計算と責任で生産をおこなった。だから、かれらは、自分のとりまえをふやすために、収穫全体をふやそうとして労働意欲をもやし、能率をたかめた。こうして封建制奴隷制よりも生産力の発展をうながした。
 中世の農民は、奴隷よりはましだというものの、やはり完全な人権をみとめられず、領主にたいして身分的に隷属していた。
領主は農奴の剰余労働を搾取するために、法律をつくって農奴を土地にしばりつけた。
領主は農奴の剰余労働を、地代(ただし封建地代)というかたちで搾取した。


 資本主義は、まず封建制度の胎内で生まれて、だんだん成長し、ついには封建制度を滅ぼして、これにとってかわるというようにしてできた経済制度である。
 資本主義の出発点は、封建制度の内部にあった小商品生産である。
小商品生産者(略して小生産者)が分解して、そのなかから資本家と労働者が生まれたのである。
 資本家が発生するのにふたとおりの道順があった。まず小生産者のなかから、一部の者がカネをたくわえ、生産規模を大きくするのに成功して資本家になる、そして昔の小生産者のうちでおちぶれた人びとを、賃労働者としてやとうようになる。
もう一つは、商人が産業資本家になり、小生産者を賃労働者にかえてゆくという「問屋制家内工業」のコースである。商人は、はじめ、小生産者の生産物をやすく買い占めるという方法で大きな利益をあげていた。生産量をおおくするために、商人は、小生産者にたいしてカネや原料の前貸しをおこなったり、ついには商人じしんが作業場をつくり、小生産者をそこへ集めて働かせる。こうして商人は事実上の資本家になり、いままでの小生産者は事実上の賃労働者になってしまうのである。

 資本主義が、封建制度にとってかわり、社会の経済体制としてひとりだちするまでのあらましをかんたんに説明しておきたい。
 まず最初は絶対主義という政治制度ができたことである。絶対主義は、絶対王政ともよばれ、絶対権力をもった国王の中央集権的政治体制をさしている。これは封建時代のおわりごろ、どの国にもあらわれた。
日本では明治の天皇制などがその例である。このような絶対王制の出現は、じつはつぎのような、経済の変化によってうながされたものである。封建時代の後半には、生産力が発達し、資本主義生産がおこりはじめた。都市と農村の社会的分業がすすみ、また各地の経済的なむすびつきができた。こうして国が一つの経済的単位となり、「国民的市場」が形成された。
ところで、商品経済が発達するためには、自由に物が生産され、自由に生産物が売買できるという社会のシステムが必要である。ところが、封建領主たちが国を細分し、べつべつの法律をさだめ、領内を通過する商品にいちいち関税をかけていたことは、商品経済の発達のひどいさまたげであった。だから、国王が自分の権力をつよめるために、領主たちの分割支配を廃止し、政治を中央集権化したとき、商人や資本家はこれを熱心に支持したのである。
 絶対君主は、封建領主階級の頭であった。けれども、かれは国王であったから、国力を強くする必要があり、そのためには財貨をかせいでくれる商人や資本家をほかの封建領主たちの圧迫から保護し、便宜をあたえてこれを育てなければならなかった。この資本家があとになって国王を滅ぼすのである。

 資本家階級ははじめ自分たちがまだヒヨコであったあいだは絶対君主に庇護されていたが、じぶんの実力ができてくると、資本主義のこれ以上の発展のじゃまになる絶対君主制をうちたおし、封建制度を葬ってしまった。これが「ブルジョア革命」である。
 ブルジョア革命のさいに、封建勢力とたたかっていちばん奮闘したのは、農民であった。かれらは平等と、徹底的な民主主義を要求した。
けれども農民は、権力をとったり自分たちが主人公になる経済制度をつくることはできなかった。革命の成果をかすめとり、封建領主にかわって社会の主人公となったのは資本家階級であった。
 封建制度の胎内から生まれでた資本主義は、はじめのあいだは生産力の急速な発展に役立つ進歩的な経済制度であった。またそれは身分制度や人身的隷属を打破し、すべての人びとにたいして法律のまえの平等をつくりだした点で人類解放の歴史的な流れのなかで重大な進歩を実現したものであった。
 しかし、資本主義経済はその内部に、どうにもならない矛盾・対立をはらんでいた。
こうした解決不能な現象は、資本主義という経済制度がけっして永遠につづきうるものではなく、おそかれ早かれ崩壊して、より高度な経済制度へ移ってゆかざるをえないということを示している。

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参照→【転記】+法原理の解説 社会のすべては経済関係が土台+
【転記】今の時代の感覚で、歴史を観てはいけない?
【転記】差別をなくすには

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第3章 独占資本主義=帝国主義

 独占資本主義の第一の特徴は、生産の集積である。
独占資本主義の国ぐにでは、重要な産業部門は、いずれもそれぞれほんの数個の巨大企業によって、その生産物の圧倒的な部分をにぎられてしまっている。これらの巨大企業はたがいにていけいし、たがいのあいだの競争に一定の制限をくわえ、市場をかれらだけで独占的に支配しようとする。
 生産と集積の結果として、自由競争のなかからその反対物である独占が発生した。自由競争は独占に転化したのである。
 ただし、独占があらわれても、競争がなくなるわけではない。

独占体(独占資本)こそは、現代資本主義の富の大部分をにぎり、社会のすべての階級・階層を搾取している支配者である。
製品を「独占価格」で売ることによって、ひろく消費者大衆のふところからも独占利潤を吸いとっている。
 さらに、独占体のボロもうけの最も大きな源は、中小企業にたいする収奪である。
 税金の面でも、中小企業は巨大企業にくらべて非常に不利な税制をおしつけられている。「租税特別措置」による大幅な減税・免税の特典をうけるのは独占企業ばかりである。
 経済評論家のなかには、「大企業と中小企業とは、一種の分業であって、それぞれべつべつの守備範囲をもって、共存・協力しあうあいだがらである」などと主張する人があるが、現実はそんな甘い、美しいものではけっしてない。


 独占資本主義の第二番目の特徴は、銀行が経済のなかで大きな役割を演ずるようになり、この銀行が産業独占体と融合して、その支配体制の一部分となったことである。
 巨大独占銀行は、産業や運輸、商業などの部門の独占企業と結びつきをもち(融資)、だんだん血がまじりあい(株式の持ちあいや重役の派遣)、ついには一つのものにとけあってしまう。こうした産業独占体と銀行独占体とが融合したものを金融資本とよぶ。これこそ完全な意味での「独占資本」である。
 コンツェルンの中枢部を占める少数の金融資本家の一群が資本主義国の政治経済の中心をにぎり、国民生活を支配している体制を金融寡頭制とよぶ。
 この金融寡頭たちの全国的な結集体として、経済団体連合会(経団連)、経済同友会日本工業倶楽部などがある。


 独占資本主義のもとでは、さらにすすんで国家独占資本主義があらわれる。国家独占資本主義とは、独占資本と国家とが単一の機構に結合したもののことであって、独占資本支配の最高度の段階の産物である。
 国家独占資本主義の本質は、社会生活上での最も強制力の強い組織である国家という機構を用いて、独占資本主義を経済的危機から救いだそうとするところにある。
 資本主義体制の全般的危機とよばれる時代に突入し、経済面でも、「以前には存在しなかった困難がつぎつぎとあらわれた。
そこでこういう状態を切りぬけるために、国家が全面的に経済活動に介入するにいたった。

 このように政界(政治家や官僚)と財界(独占資本)とがぴったり結びついている国家独占資本主義のもとでは、買収・贈賄・汚職のおこるのはさけられない。
 金融資本家は、保守政治家に政治資金を与え、これを自分の思いどおりにおやつるだけではない。かれら自身が政界にうって出て、政治上の需要なポストにつく。
 アメリカではウォール街の独占資本家がズラリと顔をそろえて直接に政権を担当している。
 軍需注文や海外投資によって、ばく大な超過利潤をあげている、こういう大独占企業の社長・重役が、アメリカの最高政策を決めるのだから、それがアメリカ金融資本の階級的利益にろこつに奉仕することになるのはとうぜんである。


 独占資本は、外国へ商品を輸出するだけではなく、多民族からばく大な利益を吸い上げるために、外国、とくに原料資源が豊富で労働力の安い後進国や、ひろい販売市場をもった国ぐにへ資本を投下する。これを資本の輸出という。資本輸出、これが独占資本主義の第三番目の特徴である。十九世紀の後半、資本主義の発達にともなって、資本が過剰になり、国内に有利な投資場面が少なくなるにつれて、資本輸出がさかんとなり、ついに独占資本主義の時代には、資本輸出は商品輸出よりも重要な地位を占めるにいたった。
 資本輸出はばく大な超過利潤をもたらす。
 独占資本はとくに利潤率の高い一、二の農畜鉱産物をえらんで集中的に投資し、ほかの分野には目もくれないので、後進国の経済は「モノカルチュア」=単作経済とよばれる一面的、奇型的な構造となり、経済自立が困難にされる。
 こんにち、とりわけ非産油途上国の諸国民はおそるべき貧困のもとにある。
南北問題(貧しい南と富める北との対立)とよばれるこの後進諸国の貧困の原因は、途上国内部の封建的土地所有の遺物と、帝国主義の搾取すなわち独占資本の資本輸出による超過利潤の吸い上げにある
 日本の大企業は、むかし、朝鮮や中国北東部(満州)をはじめ、アジア各地に資本を輸出し、超過利潤を吸い上げていた。ところが、第二次大戦後、そうした勢力圏をすっかり失い、あべこべに、アメリカから資本輸出される立場となった。戦後、アメリカ独占資本は、日本の低賃金と大きな人口、広い市場をねらって対日投資をふやし、技術導入料、株式配当、借款の利子、などのかたちで、日本から年々、巨額のカネを吸い上げてきた。
 しかし、これと同時に、高度経済成長とよばれる60年代の日本の急速な発展をつうじて、日本の独占大企業も資本を蓄積し、自前の資本輸出をどんどん増大させた。

 こんにちアメリカを先頭とした最大級の国際独占資本は、多国籍企業とよばれている。


 国際独占資本は、民族政権によって国有化がおしすすめられることをおそれ、資源の独占、利権確保のために、相手の国の内政に干渉し、右翼反動勢力を育成し、かいらい政権をつくったり、独裁政権にテコ入れしつつ、民族解放闘争や民主化闘争を弾圧している。


 独占資本は、資本輸出によるボロもうけを永久に確保しようとする。もしも相手の国の人民が、外国資本を没収して国有化したりすると、独占資本にとっては元も子もなくなるから、そうさせないために、その国に植民地体制をしき、しっかりと政治的・軍事的に支配する。相手の国に総督府をおいて直接統治するばあいが植民地である。一応相手の国に政府をつくらせ、形式上は独立国のようだが、実際にはこれを政治的・軍事的支配下においているばあいを従属国という。
 19世紀のころは、世界中にまだ資本主義の征服していない「処女地」がたくさん残っていた。ところが20世紀になると、もう、地球上、くまなく独占資本の支配がゆきわたり、世界は、おもな帝国主義諸国によって領土的に分割されおわった(世界の領土的分割の完了)。そこで世界の帝国主義のなかで、ほかの帝国主義国よりも速いテンポで経済力をぼう張させた国が出てくると、この国は、自分の実力にくらべて自分があまりにわずかの植民地しかもっていないと強い不満をもち、もっとたくさんの植民地を手に入れようとして行動をおこす。ところが世界中の領土の分割がすでに案量しているのだから、新しい領土を手に入れるためには、ほかの帝国主義国のにぎっている領土や半植民地(たとえば中国)、および新たに成立した社会主義国の領土をうばいとるしか道がない。そこで、不均等発展をとげた国、かつてのドイツ帝国主義や日本帝国主義が火つけ人となって、帝国主義国による世界再分割のための大戦争がおこった。これが第一次世界大戦(1914-18年)、第二次世界大戦(1939-45年)の基本的原因である。

 現代帝国主義は、昔ながらの植民地支配を維持することが困難となり、いちおう相手民族に独立国の形態をとらせつつ、軍事援助や経済援助のヒモで相手国をがんじがらめにし実際上は植民地的支配下におくという、新植民地主義なやり方が主要なものとなった。
 しかし、帝国主義の支配が最終的な危機においつめられたばあいには、帝国主義は武力攻撃を辞さない。ベトナムキューバに対するアメリカの侵略、
などはこうしておこった。
 その意味で、帝国主義こそは、依然として「戦争と抑圧の根源」なのである。

 高度に発展した資本主義諸国における社会進歩の道すじとして、重要な意義をもってきたのが、いわゆる経済民主主義である。
 「経済民主主義」とは、一国の経済がその国の大多数の人びとの生活を守り向上させるために、すなわち人民本位の方向で運営されることをいう。
 こんにち、高度に発展した資本主義国では、巨大独占企業が経済界で絶大な力をふるっており、その企業としての私的利潤追求のためになされる経済行為が社会生活に絶大な影響を与える。国民の経済生活はほとんどそれによって運命を左右される。たとえば、ある産業で大企業がいっせいに海外進出を決定し、国内工場を閉鎖する方針をとれば、国内で失業がふえ、関連中小企業は仕事がなくなって倒産する。またある巨大スーパー資本がある地方へのチェーン網の拡大・確立の経営戦略を遂行すれば、その地方の小売商売が何百何千とおしつぶされる。大メーカーが原材料コスト増を製品価格へ上乗せ転化すれば、消費者物価の値上がりがそれだけ加速される。大観光資本がある地域で土地を買いあつめ、ドリームランドなどを建設すれば、そのやり方いかんで自然環境は破壊され、国土利用のゆがみが生みだされる。
 そこで国民の生活と経営を守るためには、この巨大企業の活動を、「私的営業の自由」などといって放置するのでなく、これに一定の民主的規制をくわえることが、必要になる。大独占企業による労働者への超過搾取の規制、中小企業いじめの規制、独占価格つり上げの規制、公害たれ流しの規制、等々。
 第二に、現代の国民生活上の難問や中小企業・農業などの経営の困難を打開するためには、社会の総括者である国家のがわからの積極的な政策による援助が不可欠である。ところが現在の国家の政策は大企業優遇を軸としている。つまり国家独占資本主義のメカニズムができ上がっている。そしてその大企業優遇の分だけ、国民多数へのシワよせとなっている。そこで、この大企業優遇を軸とした国家独占資本主義の経済への介入のしくみを、大多数の国民の生活と経営を守り向上させるしくみへと転換させることが、必要となってくる。
 第三に、こうした体制のもとで社会的再生産がすすむように、国家のもつ高度な社会的運営の機構がフルに活用されねばならない。いわゆる民主的計画化の問題である。
 以上が経済民主主義の中心点である。
 経済民主主義は政治的民主主義とかたく結びついている。
 ――経済民主主義の徹底、政治的民主主義の徹底、それをつうじてよりよき未来へ。これこそ、高度に発展した資本主義のもとでの社会進歩の基本的道すじである。
 この民主主義は現在の経済的支配層である独占・金融資本にたいして要求されるものであると同時に、また大衆運動の内部でも確立されなければならない。とくに労働組合の民主的運営、組合員の政党支持の自由などの初歩的原則が重要である。そうした資本主義のもとでの民主主義の機構とその修得とをつうじてはじめて個人の民主的自由を尊重した真の社会主義が建設されるのである。

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参照→【転記】+超経済学入門 ~景気回復策を中心に~+
【転記】これからの世界経済の歩む道

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第4章 社会主義

 社会主義経済とは、生産手段の社会的所有制を基礎とし、一部の人びとの利潤かくとくのためではなくて社会全体の利益のために生産がおこなわれる経済制度のことである。
 社会主義制度の誕生は、過去の歴史全体、とくに資本主義経済そのものの発展によって準備されたものであった。すなわち、資本主義の内部で進展した生産の社会化こそ、社会主義経済が生まれるための物質的前提であった。
 このような生産の社会化の結果、すべての生産物は、多数の人びとの協業と分業の(工場内および社会内)総合的な産物となった。
 資本主義の独占段階への移行は、この生産の社会化を極度におしすすめた。
 このように生産の社会化が高度に進行したとすれば、この生産力の水準と状態に照応した(ふさわしい)生産関係は、生産手段の社会的共同所有を基礎とするもの、すなわち社会主義でなければならない。だから社会主義経済制度は、歴史の必然的な到達点として、客観的な社会の発展法則にしたがって生みだされるものである。


 従来の社会革命は、奴隷制から封建制への転化のばあいでも、封建制から資本主義への転化のばあいでも、結局一つの搾取形態を他の搾取形態におきかえるにとどまった。ところが資本主義から社会主義への革命的転化は、すべての搾取制度を一掃絶滅するものとして、人類史上、真に根底的な革命を意味している。だから、国内の搾取階級や外国帝国主義は、この転化過程を阻止しようとはげしい抵抗をこころみる。
 資本主義から社会主義への革命的転化の時期には、必然的にこの時期に照応した政治上の過渡期が存在することになる。この過渡期にはプロレタリア執権とよばれる独特の国家があらわれる。
 他のすべての国家の目的は搾取体制の維持・拡大であるのにたいして、プロレタリア国家の目的は搾取制度の絶滅である。だから搾取階級が一掃され、帝国主義が消滅し、社会主義体制の建設と共産主義への移行が完全に確立されれば、この特殊な国家は必然的に消えうせる。国家は死滅するのである。


 社会主義は資本主義とくらべてつぎの二点で根本的にちがっている。
 第一は、人間による人間の搾取の消滅である。
 以上のものを控除した残りが各個人に分配される。それは名前は賃金であっても、資本主義のもとでの賃金のような、労働力商品の価値ではない。社会主義のもとでは、労働力はもはや商品ではなくなっており、剰余価値は消滅している。
 第二の点は、経済の計画的・意識的統御が可能なことである。生産手段が社会的所有にうつされているため、資本主義のような経済恐慌はもはやおおらなくなっている。

 これと関連して、社会主義では資本主義よりも経済発展の速度がはるかに急速である。これは、恐慌・不況にる周期的な生産力破壊が生じないこと、資本主義のような大ががりな宣伝・広告のための出費がいらないこと、寄生的階級の不労所得にもとづく富の浪費がなくなること、さらに、資本の利潤原則にさまたげられることなしに社会全体の協力下に科学技術を開発しまたその成果を利用できること。などのためである。


 高度に発展した生産力を物質的基礎とし、生産手段の社会的所有という生産関係(経済制度)を土台とする点では、社会主義共産主義も同じであるが、両者のあいだには生産力の点でも生産関係でも重要なちがいがある。
 まずなによりも、社会主義社会の生産力はまだありあまるほどの物資をつくりだすというところまでは達していない。共産主義の実現のためには、はるかに高度な生産力が前提される。
 第一に、生産手段の社会的所有制度のなかに、国家的所有=全人民的所有のほかに、協同組合的(集団的)所有がのこっていることである。共同組合的所有は、革命前に存在した非プロレタリア的な小生産者(主として農民)の広範な層を社会主義的に改造してゆくための必然的な過渡形態であり、
全人民的所有よりも一段と低次の形態といわねばならない。これにたいして共産主義段階ではすべての分野が単一の全人民的所有制によってつらぬかれている。
 第二に、社会主義のもとではすべての成員の労働が、報しゅうをあてにせず自発的に社会公共のためにつくすという自覚的共産主義的労働になりきっていない。そこでは、各人はかれが社会に提供した労働の量におうじて消費資料を社会から返してもらう。各人は「能力におうじて働き、労働におうじてうけとる」。これはまだ等価交換のブルジョア的権利がつらぬいていることを意味する。これにたいして共産主義段階には、生産力が増大し、共同社会的富のあらゆる泉がゆたかに湧きだし、労働との対立はなくなり、個人の全面的な能力の発展が可能になる。この段階においてはじめて、ブルジョア的権利のせまい限界を完全にふみこえて、社会はその旗の上にこう書くことができる。――「各人はその能力におうじて働き、その欲望におうじてうけとる」と。それは人類の経済制度の最後の形態である。


 われわれは、人類の経済制度が、最初、原始的な共同体から出発したこと、そして生産力の発展の結果、この原始的共同体は崩壊し、私的所有と階級対立へおちこみ、奴隷制封建制・資本主義という三つの階級社会があらわれたこと、そしてさいごに生産力の巨大な発展を基礎として資本主義は、社会主義という個人の発展を基礎とした万人協同の組織へ必然的に転化すること、を述べた。この人類のたどった道は、大づかみにいえば、共同体―階級社会―共同体という三つの段階をえがいていることがわかる。資本主義から社会主義への移行は、平等と相互扶助という、一面では歴史の出発点であった共同体への還帰である。だがこの還帰はたんなる古いもの、原始的共同体の再現ではない。階級社会数千年の歴史のあいだに蓄積された生産力と文化および個人の発展を基礎とした、まったく新たな、高度な協同社会の出現である。
 人間が、人間による搾取にあえぎ、経済法則が盲目的必然として猛威をふるっていた時代にわかれをつげて、人びと全体の努力によって生産力を統御し、個性の全面的発達に道をひらくことのできる、そうした新しい時代への移行である。一言でいえば、「必然の国」から「自由の国」への飛躍である。

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補論 ソ連社会主義の崩壊と社会主義再生への道

 1917年、ロシア十月革命によって歴史上最初の社会主義国家としてソ連が地球陸地の六分の一の広大な地域に誕生した。
 ところが、やがて経済的困難が表面化し、1980年代末、ソ連社会主義は建国後70年にして荘ぜくな空中分解をとげ、それと相前後して東ヨーロッパ諸国の社会主義体制も崩壊してしまったのである。

 自由と民主主義を欠く官僚主義支配 ソ連はいわば月足らずで生まれた社会主義であった。一般に社会主義は高度に発展した資本主義を基盤にして生まれるものである。ところがロシアは経済的にはおくれた後発資本主義であり、また、おそくまで封建的な専制政治が支配していたので、政治制度や社会習慣において自由と民主主義の発達が立ちおくれた。
 ソ連が建国以来この70年間に行ったことがすべて誤りだったのではない。
社会保障を飛躍的に発展させた。
資本主義が30年代の大恐慌によって大量失業と倒産にあえいでいるとき、これと全く対照的に五カ年計画をどんどん成功させた。
 にもかかわらず、体制内にひそむ「自由と民主主義」の欠如、官僚主義支配の体質がしだいに拡大し、深刻な弊害をうみだしたのであった。
 農民のコルホーズ加入の強制
 上層部の特権の発生と現場の惰性的労働
 中央指令型計画経済 
 民族平等に反する社会帝国主義と過大軍事支出

 以上のように、ソ連の崩壊は、ソ連社会主義の原理・原則から大きく逸脱し、誤った道にふみこんだ必然的結果であった、社会主義体制というものがそもそも実現不可能な空想的なものだということの証明ではけっしてないのである。
 したがった、社会主義再生のためには、(一)政治・経済・社会の全面にわたって自由と民主主義を徹底し、官僚主義支配を根絶すること、(二)上層部の特権をなくし、労働者の労働意欲と創意を引き出すような職場の自由と民主化、(三)大国主義をすて、民族平等の原則に立誓えることが必要である。

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参照→【転記】似非左翼は社会の害でしかない