科学隊

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<a href="http://secret.ameba.jp/frederic-chopin/amemberentry-12004714409.html">『エッグ・スタンド / 萩尾望都』を読了</a>

萩尾望都「エッグスタンド」考察ラウルはその無意味さに気付かず、ずっと戦争をし... / Yahoo!知恵袋

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ラウルは死んだ黒いヒヨコ。ただ、彼はまだ目覚めていない。だから自分が死んでいるか生きているのかわからない。彼は死ぬ前に目覚めないといけないと思っている。ルイーズに死んでるってどういう気分かと問うのも自分が死んでいるかどうかわからないから。

ラウルはまだ目覚めていない。だから生きてるのかどうか分からない。自分の意思を持たない。ただ、エサを与えてくれるモノに従う。従うことが愛することだと思っている。

しかし、同時に彼を束縛しようとするものは壊さねばならないと思っている。愛されすぎたヒヨコが死なないように。愛しすぎて殻に閉じ込めようとするモノを殺す。

ラウルは人を殺す。彼にとって愛情と殺人は同じ。愛しすぎると殺すことになる。温め続けられた黒いヒヨコのように。だから、彼は殺す事を悪いとは思っていない。だから、彼は戦争を愛している。血を流す世界をいとおしく思っている。彼にとっては、殺人や戦争は、愛する行為と同じだから。

そして、ラウルはルイーズの口付けで目覚める。愛されることではなく、愛することを知る。それ以前から、実は愛していたことに気付いた、というべきか。しかし、同時に彼は愛し方が分からない。

それゆえに愛するという感情に戸惑うように涙をこぼす。

そして彼はドイツ高官を殺す。ついには、自分は何かを忘れて生まれて来た、と言う。

マルシャンはラウルを殺して、この世界は死んでいるのか?目覚める前の夢なのか?と自問する。

マルシャンは、愛情に目覚め、人を愛するという感情を理解できない自分を発見したラウルを殺した。愛情も殺人も同じというラウルを。おそらく、マルシャンもラウルを愛情をこめて殺した。

ラウルは世界も自分と同じだと感じていた。世界も、まだ目覚めていない。だから世界も自分が死んでいるのか生きているのか分からない。

そして、その感覚は、マルシャンに受け継がれている。

世界はようやく愛することに目覚めようとしているのか、それとも、すでに手遅れなのか・・・。

わたしは、戦争という人殺しを肯定する世界と、ラウルという人殺しに対する罪悪感のない人格をシンクロさせて、そこに、ある種の歪んだ愛情である「愛しすぎると殺すこともある」という真理(愛国であるとか正義であるとか、そういう理屈による殺人とか)に対して、愛されることとは、愛することとは、という問題を投げかけている作品ではないか、と愚考いたします。

愛しすぎると殺してしまう、また、殺される。そうした歪んだ愛情により起こりうる戦争をして、これは真に愛することに目覚めるまえの夢なのか、それとも、人類に愛されすぎた世界(人類自身)はもはや死んでいるのか・・・殺すことなく愛することはできないのか・・・そんな感じ・・・かしらん。

1.秘密を打ち明けたのは、ルイーズを愛し始めていたからだと思います。愛するルイーズの秘密を告白されたので自分の秘密も打ち明けた。また、秘密そのものは、単純に、殺人は犯罪という常識からでしょう。個人的な善悪は別にして。あるいは、ルイーズのユダヤ人だから殺されちゃうという言葉に反応してのことでしょう。ラウルにとって殺人は、一種の愛情表現なのです。

2.ラウルがルイーズを愛していたからだと思います。ラウルはルイーズにだけは自分から与えようとがんばるのです。そのシーンの直前のスミレの花とか。自分から愛するということを知らずに生きてきたのです。ラウルにとっての愛は愛されることであって、愛することではなかった、ということでしょうか。

3.思うに、ラウルは目覚めはしたものの、同時に自分が死んでいる事に気付いたのでしょう。つまり愛するという事に目覚めると同時に、自分には愛し方が正しく理解できない、ということに気付いたのです。

ラウルにとっての愛は愛されること(それも歪んだ形の)でしかなかったのです。彼にとって、愛される事に対する愛情表現(多分に歪んだ)が殺人である、ともいえます。彼にとって、愛しすぎることは殺すことなのです。

だから、彼は殺人を、戦争を、血を流す世界をいとおしいと感じてしまう。

そして、おそらくマルシャンもそれに気付いて、ラウルを殺したのです。

4.春=目覚め(ルイーズによる)、ではないでしょうか。ルイーズによって愛するという感情に目覚めたラウルのことを言っているのだと思います。

そして、世界をして、世界は愛する事を知る前に死んでしまったのか、それとも、これは、それを知るための産みの苦しみであり、目覚める前の夢でしかないのか、というマルシャンの自問に繋がっていくのでしょう。

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