科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】袴田事件

以下、mixiの『世界の肖像』コミュより転記。

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『犯行といえるような証拠は、極めてゼロに近かった』

1966年、6月30日午前1時30分頃、

日本の静岡県清水市(現在の静岡市)の

味噌製造会社の専務、

橋本藤雄さんの家から出火、全焼した。

焼け跡から、

橋本藤雄さんと、妻のちえ子さん、

そして、17歳の次女と14歳の長男の

一家4人の遺体が見つかった。

遺体には、刃物による多数の傷があった。

警察は、放火殺人事件として捜査を開始した。

4日後の7月4日、警察は、

住込みとして働いていた男の部屋から、

肉眼では見えない程度の血痕が付いてる

パジャマを押収したと発表した。

さらに、8月18日、このパジャマには、

放火で使用したものと同じ油も付着していたとして

その部屋の住人、袴田巌さんを逮捕した。

真夏の8月、エアコンもない部屋で、

警察は、毎日12時間、袴田さんを尋問した。

警察は、便器を取調室の中に持ち込み、

捜査官の見ている中で排泄をさせた。

そして、取調べ20日後の9月6日、

袴田さんは、自分がやったと、自白した。

検察は9月9日、袴田さんを

強盗殺人、放火罪で起訴した。

11月15日、裁判が始まった。

袴田さんは、

一貫して「無罪」を主張した。

裁判所は、

検察の提出した45通の供述調書のうち、

44通を違法として却下した。

唯一、裁判資料として認められた調書には、

「パジャマの上に雨合羽を着て侵入し、

 合羽を途中で脱いで犯行を行い、

 放火後工場内の風呂場でパジャマを洗った」

と供述されていた。

ところが、事件から1年以上たった

1967年8月31日、

味噌タンクの中から、5点の衣類

(ズボン、ブリーフ、アンダーシャツ、

 半そでシャツ、ズボン下)が発見される。

すると、9月12日、

捜査官が、袴田さんの実家で、

生地と切断面が一致する布を発見したと発表した。

1968年9月11日、

袴田さんに、判決が下った。

「本件においては

 正義の観念が最後の手段として要求するものは

 極刑以外にないものとの結論に達し

 所定刑中死刑を選択する。

 

 よって、被告人を死刑に処する。」

その後、1976年5月18日、

東京高裁で控訴棄却。

1980年11月19日、

最高裁で「死刑が確定」した。

しかし、その後、

検察が証拠として提出した写真が捏造だったことや、

味噌タンクから見つかった5点の衣類が、

実は、小さ過ぎて、

袴田さんは着ることが出来ないことなどが判明した。

1981年、

袴田さんと弁護団は、静岡地裁に再審請求。

1994年、

静岡地裁、再審請求を棄却。

袴田さんと弁護団は、東京高裁に即時抗告。

2004年、

東京高裁、即時抗告を棄却する。

袴田さんと弁護団は、最高裁に特別抗告し、

今、審議中だ。

今年、2007年、

一審の静岡地裁で死刑判決を下した

当時の裁判官、熊本典道元が、

「公判当初から無罪の心証があった」

「袴田君の犯行といえるような証拠は、

 極めてゼロに近かった」

「自白調書は臨場感がまったくなかったが、

 有罪を書かねばならなくなったため、

 心ならずも妥協して一通だけ採用した」

「39年間、

 有罪判決を書いてしまった責を背負ってきた。

 私に出来ることがあれば償いたい」

 

と語り、

6月25日、

再審を求める上申書を最高裁に提出した。

袴田さんは、

当時、2歳だった息子さんに向けて

次のような手紙を書いている。

「息子よ。どうか、力強く、

 勇気ある人間に育つように。

 そして、お前の友だちから、

 お前のお父さんは

 どうしているのだと聞かれたら、

 こう答えるがよい。

 僕の父は不当な鉄鎖と対決しているのだ。

 息子よ。

 お前が正しいことに力を注ぎ、

 苦労の多い冷たい社会を

 反面教師として生きていけば、

 遠くない将来にきっとチャンは

 懐かしいお前のところに

 健康な姿で帰っていくであろう。

 そして、必ず証明してあげよう。

 お前のチャンは決して人を殺していないし、

 一番それをよく知っているのが警察であって、

 一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。

 チャンはこの鉄鎖を断ち切って

 お前のいる所に帰っていくよ」

袴田さんは、30歳のときに逮捕されてから、

41年間、収容されたまま、

今年、3月10日、71歳になった。

今、袴田さんは、

弁護士はおろか、家族とも、

ほとんど、面会を拒否しているという。

               (2007年06月27日)

2008年3月24日、

最高裁は、袴田巖さんの再審請求を棄却した。

               (2008年07月1日追記)

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転記終わり。

関係リンク

「袴田ネット」

「袴田巌さんの再審を求める会」

「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会」

インターネット新聞JanJan 袴田事件:確定死刑囚・袴田巌さんの無実の叫び

袴田事件の謎を追う 1/3 NNNドキュメント92

袴田事件の謎を追う 2/3 NNNドキュメント92

袴田事件の謎を追う 3/3 NNNドキュメント92

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