科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】なぜ政治家の立場で靖国に参拝してはいけないのか

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

-----------------------------------------------------

靖国の本質』

いくら私人で参拝だ奉納だと主張しても

政治家が、参拝を表明すれば

もはやそれは私人での参拝じゃないからね!

盗人の居直りみたいなもんだよ

太郎が天皇に手紙を渡したことを

個人的な話しだといって政治利用じゃないと屁理屈をいうのと

全く同じ

では本題!

この問題には「靖国」の戦争賛美の本質がよく現れている

一般的に神社において、戦乱で死んだ者を祀る場合

その戦いで死んだ人すべてをほとんど祀っている

戦いを導いた者、兵士、巻き込まれて死んだ一般の人々

敵の将兵、それらすべての者を鎮魂し供養している

「自分たちが殺してしまった人びとをも供養する」 と

いうあり方に対して、これとまったく異なる考え方を

もって新しく出現したのが、明治期に作られた 「靖国の思想」だ

靖国神社は、おおまかに戦争に加担した人や軍人のみを

祭祀の対象している

馬や犬や鳩だろうが、日本軍の一員であったのならば

祀っている

しかし、たとえ人が死に、あるいは殺された場合で

あっても、その者が 「敵」 であったり、同じ日本人で

あっても日本軍人やその関係者でないなら祀らない。

当時戦争に反対していた「アカ」と呼ばれる者たちでない

一般人であってもだ

戦争で死んだ人でも、地上戦の犠牲者や集団自決を

強いられた沖縄の人たち、各地での空襲、広島・ 長崎の

原爆などによって亡くなった非戦闘員は、

靖国の祭祀の対象ではない

(これには最近、特例があったかもしれないが

それであっても、本質はなんら変わりない)

このことは、それまでの日本における戦争犠牲者

に対する供養のあり方と比べると、きわめて特異な性格を

もった宗教施設だ

靖国」の

この「かたよった祀り」は、侵略戦争の美化につながる

当の靖国神社

「日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、

まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、

戦わなければならなかったのです」

と、歴史の事実を捻じ曲げ、戦争をやむえなかったものと言ってる

これは戦争の美化以外なにものでもない

昨今、戦前の戦争に国民を駆り立てた時代に類似する

法律が次々と急ピッチで政府によって成立させられている

こういう時に、政治家たちが靖国神社の本質をひた隠し

靖国参拝の何が悪い?国のために死んだ人を

祀ることが悪いことか?」

という態度は、先の侵略戦争を反省して平和を願う者の

姿だと言えるだろうか

靖国」を、先の戦争を美化しふたたび日本を

戦前のような、自由のない政治に戻すための道具のひとつと

考えるのは極端なことだと思わない

靖国の特殊性を隠して「国のために死んでいった人を祀ってある神社を参拝してどこがわるい?」みたいなことを小泉さんが首相の時にいいましたね

また、それをそのまんま垂れ流すマスコミ

これらは、プロパガンダ以外の何ものでもないじゃないですか!

為政者が動いて耳目が集まる、これすなわち政治です

靖国の特殊性を知らない人が、そういう政治家の発言を聞けば

当たり前に聞こえるのは当然です

そうやって参拝することは、靖国の政治利用じゃないでしょうか?

靖国という宗教に好印象を与えることじゃないでしょうか?

政教分離の原則を掲げる国の首相が、耳目を集めるようにして

それを行うということは、信教の自由にさわると言えないでしょうか

望まぬ戦いにかり出されて死んだ者やその遺族は

靖国で讃え祀られることをどう思うでしょう?

もちろん、国や愛する者を守るためにと思って

戦地に行かれた方もいるでしょう

そのことを誇りに想ってらっしゃる遺族の方もいることでしょう

そうでない者もいるんです!

そうでない者も強制的に祀っているのです

そういった一部の人が、合祀をやめてくれと

言ってるんです

その願いを靖国は拒否してるのです

その強制には、自由も人格をみとめるということもありません

そこには平和の望みがあると言えるでしょうか?

合祀の取り下げを望む人の数が少ないからどうでもいい、多いから

どうだということでないのはご理解いただけますね?

合祀をやめてくれという遺族は、確か数万名いると聞いたことがあります

そういうった声を、かたくなに無視することは

どういうことかお考えください

-----------------------------------------------------

余談ですが

様々な史料によって、日本の侵略戦争だったことは明らかです

その歴史学の定説を否定したい人は

まともな反論もなしに、妄言を繰り返すばかりだ

本当にそれを歴史学において証明できるなら

学位ももらえる、名誉も地位も得られますよ

これまで誰一人、日本の侵略を否定できる者は登場していないのが

動かしようのない事実です

『日本側の史料だけを見ても侵略は明らかだ!』

【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第一部 ~日記に現れた合法論者の反論を中心に~

【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第二部 ~力を背景にして強制された調印の実態~

【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第三部 ~日本は韓国支配で大損をこいた?~

【転記】日本の植民地支配・史料集

【転記】朝鮮人も志願して戦った?

-----------------------------------------------------

◆「死んだら靖国で会おう!」論について

いまだにこれを持ちだす人がいるので

日記に補足するたたちで解説いたします

「死んでも靖国に英霊として祀ってもらえる」

「死んでも戦友と靖国で再会できる」

「これを心の支えにして死んでいった人がいるんだから

靖国にたいしてどうのこうの言うのはかわいそうだ」

そういう事を言う人がけっこういます

明治37年から、主な学科は国が定めた教科書ひとつ

しか使えなかったんです

そこには

天皇陛下の御恵みのほどをありがたく思ふとともに、

ここにまつられてゐる人々の忠義にならって、

君のため国のためにつくさなければなりません。」

こう書いてあります

こうやって国民が思想教育されていたのです

北朝鮮の「将軍様なんとか~」とか

イスラム原理主義者とか

それとどう違うんですか?

日本のはいいんだ

でも海外はおかしい

事象を非論理的にとらえる方がいます

-----------------------------------------------------

国家神道の植民地や占領地での政治利用の例

よく先の戦争は「侵略戦争じゃない」「いや侵略戦争だ」などと

議論しているときに必ずでてくるのが

植民地になった国の人にも「自発的に戦争協力した人がいる」

というやつだ

そもそも「自発的」な人のパーセンテージや、反植民地運動の

ことにも触れずにこれを持ちだすので問題外であるが

その事について国家神道の果たした役割について触れてみる

国内においては、戦前はひとつの教科書だけしか

使えず、そこで靖国についても記述されており

そこで祀られるのだから「君のため、国のために尽くせ」

と思想教育されていたことは以前の日記で書いた

海外でも同じことが言える

朝鮮では、1919年に彼らの神(?)を祀る「国師堂」を

移転させ、朝鮮の総鎮守との位置づけで、朝鮮神社

官幣大社)が設立された

朝鮮の神話で国の開祖である檀君の合祀はされず

天皇明治天皇が祭神とされた

この後、朝鮮全土に神社が建てられ

1936年以降は「ひとつの村にひとつの神社」というのが徹底され

国家神道の教えは農村の隅々までも広められた

毎月一日を「愛国の日」と定め、参拝と「皇国臣民誓詞」の斉唱

などを強要された

反対すれば投獄されたのである

「皇国臣民誓詞」については字数の関係で説明しないけど

おおよそわかるでしょう

詳しく知りたい方はご自分で調べるなり私に聞いてくださってもOK!

台湾においても同じような事情です

1901年に官幣大社台湾神社が建てられ

1928年に植民地支配のために一命を捧げた英霊を祀る建功神社が

1942年に台湾護国神社

これらは朝鮮と同じで、台湾の独自の信仰を抑え皇民化教育に

利用されていきました

「寺廟整理」と称して

日中戦争後は仏像や孔子廟を破戒して天照大神

祀ることが強制されました

同じことはパラオやインド諸島にも

シンガポールでは、すでに現地の邦人が過去に作った神社を

取り壊し、皇民化教育のための国家神道の神社を作った

アジアの独自の信仰や宗教を否定して、国家神道を押し付け

日本の天皇の崇拝と国家に対する忠誠を強要する役割を

海外の国家神道神社は果たしたのです

これらの神社は敗戦後、現地の人々によって壊されました

-----------------------------------------------------

◆政治と結びついた愛国心は、とても気持ち悪い!

以下、某所より

著者の許可を得て引用します

書かれた時期が、数年前なので

当時の状況についても書かれているので

その点は、ご了承ください

『国を愛せと国が言う』 ~前編~

教育勅語」が発布された際、文中の「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ」という部分に関して次のような意見が出たそうです。

(この部分の口語訳は「私の臣民は実直に忠孝を尽くし」となる。「忠」は天皇への忠誠。「孝」は親・先祖への忠誠)

【陛下自らが臣民に対して、「(自分に対して)忠実に」とおっしゃるのは不可解なことではないか。】

言い換えると、「自分に対する国民からの尊敬を、自分から求めちゃあかんのとちゃう?」というものです。そして、これは反天皇主義者から出た批判ではなく、「陛下にそんなことを言わせては申し訳ない」という天皇への配慮からでた意見です。

(友田宜剛『詔勅の謹解と日本精神』昭和18年より)

何が言いたいかといいますと、政治的に右であれ左であれ、「自分で自分をヨイショする行為」は「とっても恥ずかしいこと」なのです。

先日、与党内で教育基本法変更案がほぼまとまり、各地で話題となっております。

一番気になる変更点としては

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言が入る、というものが挙げられます。

この点において、「良心の自由」の見地からの批判が盛んですが、今回の日記では先に述べた点から疑義を呈したいと思います。(もうお分かりですかね)

仮にこんな奴がいたらどう思うでしょうか?

①ダメオヤジ編

「父さんはスゴいんだ。だからお前らは父さんを尊敬すべきなんだ」

②ナルシスト編

「僕はスゴいんだ。だから君達は僕を尊敬し、敬愛するべきなんだ」

③ストーカー編

「俺はスゴいんだ。だから君は俺を愛すべきなんだ」

①なら笑えますが、②③に関して恐らく大多数の人は、「キモッ」って思うでしょう。

しかし、これと同じことをしているのが今回の変更案なのです。

もう一度、変更案を見てみましょう。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」

そもそも「法律」というものは、良かれ悪しかれ「国民を縛るもの」です。(これに対し「憲法」は「国と下位法を縛るもの」。この点に関してはまた後日の日記で)

ゆえに、法律文の主語は「統治機構としての国」なのです【注①】

つまり、変更案が盛り込まれた場合、教育基本法は「統治機構としての【国】が国民に対し【愛国】を要求する法律」となりましょう。【注②】

【国が国民に対し愛国を迫る】

これは、怖い、そして気持ち悪い。

そしてこの恐ろしさはストーカーの比ではありません。

ということで簡単に図式化すると、法令に「愛国心」を盛り込もうとする「愛国心論者」=「ストーカー」なんですね。(一部右翼がよくやる「単純化」を用いさせて頂きました)

つきましては、前々回の日記で紹介した安倍晋三さんは日本を代表するストーカーなのです。明日から安倍さんのことをヘビーストーカーを呼ばせていただきます。

-----------------------------------------------------