科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】数の概念

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『2581は?』

子どもならすぐに分かる問題 あなたは解けますか?

就学前の子どもなら5~10分で、プログラマーは1時間で解ける問題がネットで流行中です。

ITmedia

 8809=6、7111=0、2172=0といったように数式が並び、では「2581は?」というのが問題。ネットでは「すぐ分かった」「全然分からない」などいろいろな声が上がっています。気づいてみれば意外と単純ですが、はまってしまうとなかなかそこに気づけないかも? みなさんもぜひトライしてみてください。

マイミクさんの中にも、何人かの方が煩悶しておられ

メッセで質問もきたので

日記で解説しようという試みデスラー総統

これ、私が子猫時代からあった問題だと思う

解けたかって?

ったりめぇーよ!

自分の過去の記憶は

美しく改ざんされる傾向にあることを付け加えておきますw

◆これは頓知だ。だけど広い意味で数学の問題でもある

頓知っていうのは、屁理屈だよ

そう言い切っちゃうのも、ちょっと御幣があるかも知れないが

分かりやすくいうと、屁理屈だ

私に質問された方も

ちゃんと数学的法則から導いて答えを出さなきゃいけないように

スリードしてんじゃねえの?

と、おっしゃってる

でも頓知やクイズの類は

あえてそういうミスリードをして

問題の難易度を高めたり、そもそも問題を問題として成立させている

とはいえ、私がよくいう「数の概念」、数とは何か?

そういうことを考えると、これは広い意味で

数学の問題だといえるんだよね

◆数字は自然には存在しない

1とか2とか3とか8とか

自然には存在しないよね

数字ってのは、人間が発明した実在しない概念だよね

人が自然を認識するときに

「数」というものがあれば便利だってことで

発明されたんだよね

◆たーとーえーばー♪ 例えば、たとえば、たとーえばー♪

誰も知らない古い歌は置いといて

林の中に、リンゴの木が一本生えている

実がなっている

数えると実は10個ある

ここを詳しく語りだすと超長くなるし

面倒くさいので省くけど

こうやって、自然の状態を把握するのに

数があれば便利だよね

数がなければ、この状況を客観的に表現するのに

他人に説明するときに

とても大きな困難を伴う

◆数の本質は抽象

ホールのチーズケーキが一つあるとする

チーズケーキの数は一個だ

お客さんが来たので、人数分切り分けたとき

例えば六つに切り分けて

「これ何個?」と訊くと

普通は、六個と答える

質量や栄養の観点からみると

両者に違いはないよね

そこからでは、両者を区別することが出来ない

質の観点からみたときに

区別できない両者であるけれど

一塊と切り分けられたチーズは

自然形状は異なるわけで

それを、数なしに表現しようとすれば

大変な困難が伴うわけだ

そこで数が発明されたわけだが

そもそも数というのは、自然に存在しないわけで

状況を(自然を。世界を。)

抽象的に把握するために

数があれば便利ってこと

数の本質は、「抽象化」にあるんだよね

◆「2581=?」に戻ろう

自然を指差して

これはどういう状態ですかと訊ねたら

(不自然な質問ではあるけれど)

木が8本あります

そのうち、リンゴの木が一本あります

そこには実が10個実っています

なんて、答えたとする

8888=8

2581=2

この左辺が、上の話でいえば、自然を表しているんだよね

8888が、8本の木であったりリンゴの実であったり

右辺が、例えば実の数を問われたときの答えであったりする

自然を指差して問うやり取りを

数式という「形式」を利用して表しているだけで

「8888=8」と、これ自体は

本当の数式じゃないんだよね

◆まとめ的なもの

次のような数式が並ぶとき、2581は?

という問いは

この数の抽象化能力についての問いと同じで

左辺から、何を抽象化しているのかという問いと同じなんだよね

木の数に着目してるのか、同じ木であってもリンゴという種類なのか

それとも、リンゴの実の数なのか?

それを推論で当てて下さいってことだよね

このように、数(の概念)のいちばん土台を利用した

もっとも「数らしさ」が現れている頓知であるわけだ

こうやってみていくと、これも数学の問題だといえるんだよね

◆余談

こういう問題に回答を出せないと、むきーってなっちゃうよねw

でも、これは論理力とか、その他もろもろを理解しているかを問うだけでなく

そういうものを鍛えるための問題だから

間違ったほうがいいんだよね

間違ってみて、この日記のような解説をきいて

「ああ、そうなんだ」と思って理解することが大切

そうやって学んだものを

現実の社会で、生かせるようにするための

意地悪な問題の構成なんだよね

例えば私がよく書いている

刑法・刑罰には度量衡がないって指摘

あれなんかも、数の概念が分かっていれば

見抜けるわけで

あれだけ重大な問題において

本来なら、論理を間違うことは許されないわけでですよ

そこを間違わないように

こういう意地悪な頓知をやってみて、間違うからこそ

次から注意深くなって、間違っちゃいけない場面で生かせるようになるんだよね

ちょっと片手間で書いたので

説明が乱暴かも知れませんが

こんなところで、如何でしょうか?

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数式の操作技術を扱うばかりが数学じゃないんですよね

今の学校教育体系、特に受験勉強は

その傾向が強すぎて

本当は理解できていなきゃいけない

根本的なとろこ

成り立ちや原理、概念的把握

そういう部分の教育が、不十分ですよね

それが、社会科学分野でオカルトが蔓延することの

一つの要員じゃないかと思いマッスル

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※答えは○(閉じられた図形)の数 (8→2 6→1 な→1 の→1 等)

参考

【転記】科学の方法

対象を抽象化するということ