科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】論理的な思考、科学的な思考方法とは何か

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『論理的な思考、科学的な思考方法とは何か』

以前に、脳内物質のひとつであるセロトニンに関する研究についての

ニュース記事があった

その中には、

多重債務者の脳内にはセロトニンが不足しており

それゆえ

セロトニン不足によって多重債務が引き起こされる」

そう誤解されてもおかしくないような記述がなされていた

このニュース記事が、仮に上でいうような結論を導いていると仮定して

話を進めるが

論理でひとつの、絶対的な答えが導くことができる

多重債務は、決してセロトニン不足によって引き起こされるのではない

言い換えるなら、多重債務はセロトニンを因果関係を持たないということです

これを、他に分かりやすい例で説明しましょう

人間は、自然的存在です

もっと簡単にいうと、人間は自然の一部ですから

自然そのものであるということです

ですから、人が食事をするという行為は

当然、自然的行為です

空腹も、自然のある状態のことをさして「空腹」という記号でもって表現されます

身体が空腹を感知して

それを脳に伝えると

その人は、自分が空腹だと理解し

食事をしようとします

この、空腹を知らせる仕組みは

自然の一部ですし、自然そのものです

この自然の仕組みに異常が生じれば

その人は、空腹を感じなかったり

いくら食事をしても、常に空腹であったりします

身体の中の自然物質や仕組みに問題があるとき

人間の行動に影響を与えるのは

あくまでも、こういった自然的行為の範囲だけです

空腹を生じたときに

何を食べるかは、そのときにその人がおかれた環境によります

その環境は、一部は自然的環境であるますが

もうひとつ同時に、社会的環境にも置かれております

それは何かというと

お金持ちであるかどうか

豊富な食材を選べる環境(商業の発達した都市部とか)にいるかどうか

こういうことを、社会的環境といいます

お金があれば、選択肢が増え

おにぎりを食べるかカレーライスを食べるか、焼肉を食べるか

どれを選ぼうと自由です

ところが、制限された社会的環境だと

いわば、その人が貧しければ

おにぎりは選べるけれど、焼肉は選べない

ということになります

人間の身体に異常が生じて

常に空腹を感じていたとする

そのときに、食事を取ろうとすることまでは

自然的な問題であり身体的な問題、体内(物質)の異常によって

起きると言えます

だけど、体内の異常から

食事を取ることは導けても

「何を食事に選ぶか」は、導くことは出来ません

それは、上で述べてきたとおり

社会的な環境、社会的な問題に属するからです

置かれた社会的環境の違いによって

選択肢の幅が異なり

何を選ぶかは、好みの問題も含めて

その人の置かれた社会的環境に、全くもって拠るからです

「空腹を知らせる仕組みに異常が出来たときに、人は焼肉を食べる」

そんな結論は、絶対に導くことが出来ません

ここで最初の話に戻りますが

セロトニンが不足したときに

その量が通常範囲内にある人と比べて

異常な行動を起こすということは言えても

絶対に!

セロトニンが不足すれば、多重債務をしてしまうとは

言うことは出来ません

これは、自然科学、脳科学、脳内物質の知識は必要ありません

しかし、絶対に確実だと言えることです

これが、論理的思考であり

科学のエッセンス(科学的思考)です

ところが・・・

今の学校教育は

単に情報(知識)の詰め込みですから

こういう、身についていないといけない

科学的なモノの見方、論理的な思考方法が

身についていない人がほとんどなんですよね

高学歴なところでは、まさしく

知識詰め込み型教育の頂点でもありますから

論理を不得手としている人が少なくありません

一見、同じ結論に達していても

単に知識を積み重ねて

たまたま選んだ知識(リテラシー)がうまくいっただけに過ぎません

下手したら、今の大学の教員でさえ

こういう知識型の論じ方をする人がいますね

なんだかな・・・

◆論理的思考、科学的思考の身につけかた

ひとつは、何かの分野の科学に精通する

社会分野でも自然分野でもなんでもいいです

論理的、科学的方法論は

どの分野にも共通しているものですから

もうひとつは、意図的に訓練する

「論理学」そのものを学ぶことです

大学の一般教養課程で学ぶ論理学は、記号論理学といいます

これは、論理学の一部でしかありません

もっと大本の「論理学」を学ぶ必要があります

それは、ヘーゲルの記した論理学を

科学的にリライトしたものです

ヘーゲルの「観念論的弁証法」に対して

唯物論弁証法」といいます

同語反復ですけど

それは、記号論理学を内包するものです

ところがこれも、今の学校ではほとんど教えていないんだよね。。。

困ったもんだネ

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実はこれに関連した、ちょっとしたやり取りがあったのです

だから、単に論旨が破綻しているかどうかを

説明するだけではダメで

その経過から、記号論理学で説明しても

逆に煙にまく感があるので

こういう説明を試みたのです

記号論理学はあくまでも推論ですから

現実問題に応用するときに

工夫が必要ですけど

私みたいに下手な説明をすると

かえってややこしくなりますね(笑)

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『考え方について ディベートや推論』

魚類はみんな、卵を生む

猫は卵を産む

ゆえに、猫は魚である

この三段論法の推論

猫は卵を産みませんよね

それでも、論理学における推論では

正しい推論となるのです

形式さえ正しければいいのが推論です

ディデートの詐術、詭弁は

これを利用します

反論しようとすると

こちらが証明しないといけなくなるので

よっぽど知識と根気と論理的力量がなければ

疲れてしまって、みんなさじを投げるんです

向こうは、証明しないで想像だけを繰り返せばいいだけですから!

なぜ形式だけあっていればいいのか

その理由、意味を理解しないで暗記したら

いつにもまして、「暗記」という行為は

特に推論の場合は無意味ですよ

論理学は、正しく結論を導くための

ひとつの、でも大切な指標にすぎません

だから、大きな意味での論理学に

形式論理学は内包されるのです

仮定の真偽の問題まで含んで

どう思考すればいいのかを説いたのが

唯物論弁証法です

私の日記によくつく、「反論」と称するコメントですが

想像を根拠にして主張して良いのなら

どんな屁理屈でも通ります

しかし、想像が根拠ですから

要は根拠を提示しないでいいわけですから

対立する異なる意見が、「正答」として並存する事態も起こりえますので

矛盾してしまいます

どうあっても、正しいんだと主張しようとすれば

その根拠を提示できなければいけません

私がやっているように

推論の前提に置く仮定を、証明しないでいい、

それが客観的事実でなくてもいいのが、推論です

でも!現実的な問題は、全ての仮定が客観的事実でなければ、

それが正しいとなりません

こういう詐術を知っているのが、頭のいいネトウヨにいますね

論理的力量とディベートや論理学の知識がある程度ないと、

簡単に足をすくわれます

私はこれらのことを、子猫のころからの実践で自然と身につけ、

体系化してきたのですが

上で紹介した本とは別に

形式論理学の部分でのお勧めの本は 

『論理的に考えること』岩波ジュニア新書 山下正男 とか、

詭弁論理学中公新書 野崎昭弘 

こういうのを読むと、「知識」としては理解できます

本を読んだだけで、それが身について実践で使えるかどうかは

それはまた別のお話だけどネー

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参考→【転記】詭弁とは何か?

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『論理的、科学的な思考の学び方』

とある方に、本を紹介したので

それを引用して

コチラでも、科学的な思考方法を学べる本を

紹介したいと思います

議論の仕方についてではないですが

「論理」についての話を

えらっそうにしてしまったので

本を紹介しようと思います

論理的な思考を身につけるのに

「論理学」というものを学びますが

これは、小さくいうと「記号論理学」というもので

真とか偽とか、数学で命題とかいって習うやつです

しかし、これはただ論理としての筋の通し方であって

論理的であるからといって

そこで導かれた結論は、現実の世界では

必ずしも正しいとは言えないのです

例でいいますと

・猫は尾っぽがある

・尾っぽがあるものは、魚だ

・ゆえに、猫は魚である

これは、世間一般でいう「論理学」、正確には記号論理学ですが

それでいえば、論理的に正しいことになるのです

でも、実際は猫は魚じゃないですよね(笑)

こういう形式的な論理に対して

それをも含む、もっと大きな論理学があるんです

記号論理学は、その大きな論理学の一部であって

その両方を学んで、はじめて本当に正しい結論を導くことが出来るのです

この法則を使いこなせれば

私が日記で扱うような、単純な問題では

まず間違うことがなくなります

では、本を紹介しようと思います

まず、記号論理学のほうですが

(真とか偽とかってやつのほうです)

多くの書物がある中で

初学者が、いちばん学びやすいと思った本が

・『論理的に考えること』 岩波ジュニア新書 山下正男

ジュニア新書となっておりますが

記号論理学の上級者ならいざ知らず

この本を笑える人は、まずいません(笑)

とても良書だと思います

次に、大きな意味での論理学ですが

これはとても難しいので

先に紹介した、入門書の決定版というものはないのですが

論理学全体のこと、その中での記号論理学の位置づけや

一応、大きな論理学と記号論理学の

諸法則の簡単な説明をしてある

総体的な本があります

・『論理学 思考の法則と科学の方法』 世界思想社 鰺坂真 有尾善繁 梅林誠爾

科学的な態度、思考方法、論理力

正しい結論の導き方を学ぼうと思うときに

お勧めの二冊です

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記号論理学は、初級者レベルまで身につければ

実用という点で考えると、それで十分ですね

それ以上は、高等なパズルの世界になりますので

私も、解けない問題はなんぼでもあります(笑)

実用という点で考えると

記号論理学を内包する、大きな論理学を身につけないと

そこで示される諸法則を学ばないと

正しく論理的、科学的な思考は出来ないです

自然科学の諸法則などは

この大きな論理学の法則に、みんな適っているのです

そういう様々な法則を、抽象化したのが

大きな論理学です

特に意識せずに、大きな論理学を学んでいんくても

理系で突き詰めて勉強した方などは

けっこう、知らぬ間に身についていたりします

でも!

ちゃんと学ばないと

自分の得意分野では、論理学の諸法則に適った態度を取れても

専門外の社会問題なんかを扱えば

どうしても、その法則から逸脱しちゃったります

社会に働きかけようとするもの

どうしても仕事などで、どんな場面でも

論理的な思考をしないといけないという方は

大きな論理学を学ぶべきですニャー

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