『砂漠 / 伊坂幸太郎』
この小説は、5人の大学生の生活を描いた、爽やかだけど、血の通った物語だ。
大学生活も終わりに差し掛かって、だんだんと心に余裕が無くなってきた僕にとって、この小説はそれはそれは心にしみた。
しかも今の生活が、砂漠に踏み出す前の期間限定のオアシスだってのが、またしみてしみて…一人部屋でしんみり…
このオアシスで、誰にも急かされることなく、砂漠の厳しさを知らずにのんびりと過ごしていられるのもあと僅かなんだなぁ…はぁ…
さて、『砂漠』の感想。
伊坂幸太郎の小説には魅力的なキャラクターが多いけど、この『砂漠』は特に、主人公たちのキャラが魅力的だ。
軽々しくてお調子者のようで、ストイックでしっかりとした強さをもっている男、鳥井。
ニコニコ笑っているだけのようで、ちゃんと芯の通った女性、南。
美人で無愛想だけど、実は仲間思いで、美人で、静かに燃えるような信念を持った美人、東堂。
合理的で、距離を置いて物事を見るタイプだが、仲間と過ごすうちにだんだんとアツくなっていく男、北村。
そして、西嶋だ。
彼は、アツい。というか暑苦しい。そして不器用だ。
パンクロックに傾倒し、アメリカが戦争を仕掛けたことに怒り、どうせ何もできやしないと行動しない若者に怒っている。
それに、口調もおかしくて、よく唾を飛ばす。読んですぐ僕は、サンボマスターの山口隆をイメージした。
彼は、世界平和を願って、麻雀でピンフの役を作り続ける。
そんなことをしても世界は平和にならないし、そんなことはくだらないことだと思うだろう。
本当に世界を変えたいのなら、それこそ距離を置いて物事を見て、論理的に考えて、ちゃんとした方法で挑まなければ意味がない。
しかし彼は冒頭で、
「あのね、俺たちがその気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」
と言ってのけ、
「賢いやつはね、先のことを考えすぎるんですよ。馬鹿になればいいんですよ」
「目の前で困っている人がいればばんばん助けりゃいいんですよ。今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ」
とバシバシ行動していく。
西嶋は億さない。
そんな西嶋に心を打たれた僕は、理屈抜きで、もしかしたら砂漠に雪を降らすことだって可能なんじゃないか、なんて思ってしまったわけだ。
(何言ってんだコイツと思われるかもしれないけど読んだら高揚感でそうなるの)
しかし彼は同時に、自分の無力さにも痛いほど気づいている。
それは、三島由紀夫のエピソードで語られる。
ちっぽけな人間が一人熱くなったところで、ムリなものはムリだし、無意味なことは無意味だ。
だけど、彼の行動は時々、奇跡を起こす。
彼は確かに、ボーリングでスプリットを決めたし、一匹のシェパードを救ったし、友人の心の平和を取り戻したりした。
そんな西嶋も、少しずつ変わっていく。
「冬」での、彼がプレジデントマンに言ったセリフや、最後の麻雀のシーンはじーんとくる。
伊坂幸太郎のように、本を書き続ける。
あの美味いラーメン屋のおっちゃんのように、美味しいラーメンを毎日コツコツ作り続ける。
あの可愛いアイドルのように、素敵な笑顔で微笑む。
それらは、この悲しくてやりきれない世界を変えることはできない。
でもそれらは、ちっぽけな僕ら一人一人のちっぽけな世界に、小さな波を呼び起こし、何かを変えるはずだ。
『僕たちは世界を変えることができない』という銀杏BOYZの曲があったが、この曲にもこういうメッセージが込められていたのだと思う。
この小説が、西嶋が、僕の世界を変えた。
小説とか、音楽とか、お笑いとか、映画とか、そういうものは単なる気休めなんかじゃない。
切実な、生きるための力となりうるのだ。
なんかね、この物語でお互いに影響しあって少しずつ変わっていく5人を見ていて、僕も漠然と「変わりたい」なんて思ったよ。
アホみたいな感想だけど、そう思ったんだから仕方がない。
僕の周りのみんな!僕に影響を与えてくれ!僕を変えてくれ!
(アホ)
西嶋の、
「俺は恵まれないことには慣れてますけどね、大学に入って、友達に恵まれましたよ」
って言葉にウルっときちゃって、また大学のくだらない仲間とくだらない話を朝までしてたいなーなんて。
以上、『砂漠』の感想でした。
伊坂幸太郎の文章はどうしてこんなに心が揺さぶられるんだろう。
僕は、村上春樹の小説ではピンとこなかったのに、伊坂幸太郎の小説は好きだ。
両者の文章のタイプはよく似ている。
伊坂幸太郎の小説と村上春樹の小説の登場人物は、共通して、「そんなこと絶対言わないだろ!」っていう非現実的で、洗練されたセリフを発する。
そのオシャレな感じが、村上春樹の場合、癪に障るんだけど、伊坂幸太郎はなんともない。(まぁ、ノルウェイの森しか読んでないんだけどね)
なぜか?両者の違いはどこにあるのか?
その理由が、この『砂漠』を読んでいて分かった。
伊坂幸太郎が、ロックだからだ。
一見ダサくてかっこわるいものこそ、本当は素晴らしく、価値のあるものだ。
そんな心意気が、この小説から伝わってくる。
伊坂幸太郎はロックだ。ロケンローだ。シェケナベイベーだ。
んで、村上春樹はイングウェイだ。貴族なんだ。正確には伯爵だ。
技術だけが凄い感じだ。
(イングヴェイも素晴らしいとは思う)