科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【まとめ】震災に関するサイトURL

今回の震災では様々な情報が飛び交ったが、その中で興味深かったサイトのURLを載せる。

まずは被災地の写真、映像。

Japan: One week later

Photos of Japan After Earsquake and Tunami

Pictures of Japan Disaster

これが日本なの・・?海外の「地震写真まとめ」が恐ろしすぎる(画像73枚)

今回の津波の映像集

グーグル比較画像

津波の恐ろしさがわかる。

今は映像を残すことができる時代だ。この映像を後世に伝え、悲劇を繰り返さないようしてほしい。

地震対策まとめ

震災後の仙台を歩く/深町秋生のベテラン日記

そして、写真よりも映像よりも伝わってくる文章。

被災地へ医療スタッフとして行ってきました/JKTS

陸前高田に医療活動に入った看護師の10日間。心に響いた。

軽い気持ちでボランティアには行けないと思い知った。

阪神大震災の被災者の言葉

― 助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。一番めいわくで邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。こちらが必要とすることを言っても、できるはずもなく、逆に自分たちのために残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末 ―

自衛隊の人の言葉

― 被災地で炊き出しをした際、たとえ余っても自衛隊員は絶対食べないで缶詰の冷たいご飯を食べます。被災地の人用にお風呂を用意しても自衛隊員は入りません。そして出来るすべての事をやったらひっそりと帰る。それが自衛隊です ―

Twitterで現地で活動している自衛隊員のツイート

・食糧を配給中、避難所にいるお年寄りから「どこの部隊かね?」と聞かれた。冗談で、本当に冗談で「新撰組の者です」と答えると「そうか、ありがとうな」と言って涙を流していた。爺ちゃん、礼を言うのはこっちの方です。

・子供をおんぶして救護所まで運んだ。何故か、周りに子供達がいる。「どうしたの?」と聞くと「僕らもおんぶして!」と言う。「今、仕事中だから、また後な」と言うと喜んで帰って行った。子供は元気が一番だな。きっと、復興は早い。

・信号で止まったときに幼稚園バスから手を振られた「頑張ってー!」と声援ももらった。泣きそうになった。隣に座ってる班長は泣いてた。

ウルっときた(ノ_・。)

アジカンのVo.ゴッチのツイート

― 被災地のために自分は何も出来ていないと自分を責めているひとたち、復興への手助けは早押しクイズではないと思います。これから何ヶ月もに渡って復興に向けての活動が続きますから、長い目で僕たちにできることを探したいですよね。僕も自分にできることを考え続けています ―

追記

「被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~」というとても良い記事を見つけたんだけど、なんかサイトに繋がらなくなっているので、ここに転記する。

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阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。

遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父 親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に 残っている。

その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。

学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己 採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。

下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。

「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生として の役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、 正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。

まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。

寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。

作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。

以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。

ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」

言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。

結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。

配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらった が、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業 は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされてい た。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそ うとは言えなかった。

僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。

僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。

今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさ んいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか 無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。

そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているな ら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そう いった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあな た」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。

結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。

2011/3/15 追記

沢山の反響ありがとうございました。同じような経験をされた方もたくさんおられたようで、あの時感じた孤独感が今頃癒されております。

僕は上記のエントリーで一年は待ってみようと書きましたが、そんなに待たなくてもいいようです。すでにNGOなどの支援団体が、ボランティア受け入れに向けて動き出しているみたいですね。もちろん動き出すのはまだ先になるでしょうが。

時間と体と情熱のある人は、そういった「人を動かす人」としっかり協力して、自分の能力を最大限に発揮して欲しいです。もちろん1年、2年、5年、10年スパンで細く長く復興を援助する気持ちもとても大切だと思います。

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祈りつづけて、/南三陸 海 山 川!

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