無宗教なんて存在しない
ヨーロッパを旅行してる時に考えてたんだけど、外国人に「あなたの信仰する宗教は?」と聞かれたらどう答えたらいいのか。
日本人が外国人にどこの宗教か聞かれた時、無宗教だと答えると理解されない、とかいうあれだ。
僕は神の類は信じていないし、仏教の教えも知らない。
(一応、家は浄土真宗ってことになってるけど)
さて、それならば僕は「無宗教です!」と答えればいいのだろうか?
僕に限らず、科学が発達して様々な現象が明らかにされた今の時代、神様仏様お救いたまえ云々を本気で信じている日本人はそうはいないだろう。
と、ここで気が付いた。
キリスト教徒の多い欧米でも科学技術は発達してるじゃない!
条件は僕らと一緒じゃんか!
彼らは本当に神の存在なんぞ信じてるのだろうか?
僕は、それはノーだと思う。
彼らの大多数が“本気で”神の存在なんぞ信じているとは思えない。
では彼らが「キリスト教を信じている」というのは一体どういう状態か?
それは、「幼い頃からキリスト教の文化の中で育ってきて、それが染み付いている」ということだと思う。
つまるところ、キリスト教の文化圏に属していて、生活の中にキリスト教が根差している、ということだ。
日常生活がキリスト教そのものというわけ。
なんて言ったらいいかな、
微妙なラインを行ってる感じ。
さて、そう考えると、日本人もキッパリと「無宗教です!」だとは言えないんじゃないか。
日本人の全員が仏教もしくは神道の文化圏に属している。
お寺や神社で唾を吐いたりすると嫌な気分になるでしょ。
家には仏壇があるし、初詣も行くし、京都の世界遺産なんてお寺や神社ばっかだし。
キリスト教徒が十字架のペンダントにキスをして神に感謝するのは、日本人が「いただきます!」と言うのに近いものがあると思う。
日本人もまた、日常生活、そして物の考え方一つ一つが仏教、または神道そのものなのだ。
ようは、どういう状態を「宗教を信仰している」と言えるかという認識の違いが、日本人と外国人の温度差となっているのではないだろうか。
日本人は、初詣とか行くくせに、「無宗教でーすっ!」なんて言ってるから「はぁ?」ってなるんじゃないかな。
まぁ実際に調べたわけじゃないからわからんのだけど。
そうなると、本当の意味での無宗教の人なんて、この世に存在しないのではないか。
宗教と文化ってのは切っても切れない関係なんだから。
ジャングルで育ったとかじゃない限り、どこかしらの宗教に属していると言える。
うーむ。
とりあえず僕は、これから宗教を聞かれる機会があれば、仏教徒だ、と答えるかな。
ただ、ここでさらに宗教について個人的な意見を言わせてもらえば、存在証明もされていないものを信じるなんて姿勢は、科学を学ぶ者からすると理解できないんだよ。
批判とかじゃなくて純粋に「なんで?」って思う。
理系ってのは証拠がないと信じられない性分だからね。
神なんてもんを信じている人は、そもそも科学的な思考回路をしていないんじゃないかと思うわけ。やっぱり。
無神論者や無宗教だと理解できないのに、そこは割り切れるわけ?
まぁ、神の存在は信じていないけど、教えの部分を信条としている、といった割り切った信仰をしている人もいるだろうけど。
とにかく僕は、納得がいく説明がされないものの存在は、一切信じないというスタンスをとってます。