科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

お笑いの進化に虚数の世界を垣間見る

言語というのは、意味の空間を言葉で切り分けるものである。

言語という分野において、お笑いというのは間違いなく、最先端をいっている。

最先端というのは、その分野における新たな領域を切り開いていくということであり、まさにその通りに、お笑いは何度も今まで我々の知らなかった“意味の空間”を見せてくれた。

例えば、松本人志。(またかよ!って感じだけど、僕が松っちゃんばっかり追っかけてるから知識が偏ってるのは仕方ない。)

彼は、新たな言葉をバシバシ生み出していき、世の中に広めていった。

(「逆切れ」「サブい」「イタい」「ぐずぐず」…etc)

また、既存の言葉で、斬新な使い方をする、というのも。

(「ある種」「ありえない」「パターン」…etc)

他でも新たな言葉はどんどん生まれていってると思うけど、お笑いから生まれた言葉は、世の中に広まるという点で、他の追随を許さない。

さてそんな偉大なお笑いなのだけど、ダウンタウンのクイズネタをみていて、お笑いは、意味の空間における、虚数空間ともいうべき領域にまで踏み込んだのではないかと感じた。

例えば…

「逆さクイズ!!私の言うことを逆さに言ってください!!」

『高い』 『低い』

『遠い』 『近い』

谷隼人』『………』

とか。

クイズネタでは他にも、

「問題です!!太郎君が花屋さんに花を買いに行きました。さて、どうでしょう?」

とかね。

最近のネタでも、フットボールアワーの結婚記者会見のネタでは、

「奥さんとはどこでお知り合いになったんですか?」 「友人の紹介です。」

「奥さんを中国人に例えると?」 「………」

というのがあった。

これらは、言語では表すことができない領域だ。(特に谷隼人のやつ)

僕は、これらは言語における、虚数のようなものではないかと感じた。

「すでに認識されている意味に言語を当てはめた」のではなく、「言語によって新たな意味が発見された」のである。

お笑いは、言語の領域を切り開いていく過程で、意味の虚数空間を我々に見せつけるに至ったのだ!!

お笑いすごい!!

今後僕は、これを虚数の笑いと呼ぶことにする。

ちなみにこの考えは、下のブログ記事が印象に残ってて浮かんだもの。

数学と芸術にみる複素数の解釈

絵画の描写方法に虚数を感じるというものだ。非常に興味深い。

また、虚数の有用性、数についての説明もとてもわかりやすくて興味深い。

(ゼロって今では当たり前の概念だけど、ゼロの発見ってすごい!無理数よりも、負の数よりも後に発見されたんだよ!あと、三次方程式の解の公式は、虚数の概念なしでは得られないんだよ!)

以下、芸術での複素数の解釈、の部分を引用。

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絵の中に描かれる影には、「実際に見えている」影と、「投げかけられる」見えない影があります。投げかけられる影とは、光が当たっている物体から、その投影された影までの空間にある、「陰」の部分です。しかし通常には、その投げかけられる影を意識することはほとんどなく、実際にその場所に入ってみなければ実感できないものです。

クロッキーという描画方法では、線で形を描写します。すべてを「線」で描く手法で、水彩画や油絵の下書きでも行われます。この時、見えている影をクロスする2方向の線で描くとすれば、投げかけられた影は、1方向の薄い線の束で描くことができます。つまり、実影と投げかけられた影は、絵の中で違う表現をされています。

このことから、投げかけられた影は、実感できないものでありながら、実影とは異なる表現をされている、絵の中で重要な「厚み」を感じさせるものと言えるのではないでしょうか。

この、実在しているかも知れないけれど意識しなければ見えない影というのは、数の世界の「虚数」と同じようなものではないかと思うのです。つまり、普段は気づくこともなく、それがなければ生活に支障が出るわけでもないのですが、それが存在することで「深み」が増し、表現をする上での「便利な道具」になるのです。

一方、もし投げかけられた影が存在しなければ、実影も存在しないのかも知れないと考えることができます。それを数の世界に当てはめると、虚数が存在しなければ実数の世界にも欠落するものが出てきてしまう。そんな風に思えてきます。

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複素数は数そのものであり、現実の世界を表現するもっとも自然な数といえます。それは、日常の常識がいかに部分的で小さな世界しか見ていないのかということを教えてくれるものでもあります。(先ほど説明したように、普段目にしている実数は、ガウス平面上の1つの実線部分に過ぎないのですから。) ―

という言葉に感動した。

古代ギリシアの哲学者プラトンは、

「我々の住む物質世界は、真の実在であるイデアの世界の影なのである」

と主張した。

虚数量子力学の概念が生まれる遥か昔に、このような世界観を構築していたことには驚嘆せざるを得ない。