科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

死者蘇生の男

まずは→<意識>をめぐる考察

■ 死者蘇生とクローンは同じか

あなたの部屋に神様が現れて、こう言いました。

――― 突然だが、私は神でやんす。

そしてこれまた突然でやんすが、これから君は死ぬでやんす。

これは逆らうことのできない、運命ってやつでやんすね。

でも安心するでやんす。

君が死んだ後、君のクローンを作ってあげるでやんす。

もちろんクローンには君の死の瞬間までのデータを入れておくでやんすよ。

もしくは、僕に100万円払うでやんす。

そうすれば死者蘇生で君を生き返らせてあげるでやんす。

まぁ神様だってお金には困ってるでやんすよ。

さぁ、どちらかを選ふでやんす!

クローンか死者蘇生か!

これは運命でやんす ―――

前回の話(→クローンの男)で眠ってしまった男の考えは正しかったのか。

自分の記憶を受け継ぐクローンは自分と同じなのだろうか。

もう少し考えてみたい。

今回も、自分の周りの人間も、そして「2人目の自分」さえも、死者蘇生とクローンの違いを認識することは不可能だ。

違いを知る存在があるとすれば、それはクローンを作った存在だけであり、それはもはや神の視点と言えよう。

さてどうだろう?

100万円払ってまで死者蘇生を選ぶ価値はあるだろうか?

(死者蘇生なんて非科学的すぎる!って思う人は「いったん植物人間になる」でもいいだろう)

でもこれくらいなら、ほとんどの人が死者蘇生を選びそすだ。

それならばさらにこんな条件も追加してみよう。

・死は一瞬である(死の時間は0である)

・クローンを作るのも一瞬である

・クローンは自分のいた座標と全く同じ座標に現れれる

すると今回のクローンは、記憶を受け継ぐだけでなく、時間的・空間的連続性までも満たされていることになる。

死者蘇生が5秒かかるとしたらどうだろうか。

死者蘇生のほうが「自分がこの世に存在していない時間」があるではないか。

自分のクローンが目の前に現れた、という例を考える。

その場合ならば、それが自分ではないと誰もが感じるだろう。

自分は、「ここにいる」のだし、目の前のアイツは違う存在だ。自分なわけがない。

過去の自分のデータで作られているわけだから、目の前のクローンは過去の自分から分化した存在と考えることができる。

しかし今回の場合、自分とクローンが存在に時間の重なりがない。

ここまでくると難しくなってくる。

ていうかもうどうでもよくなってきません?

僕はどうでもよくなってきました。

(この「どうでもいい」っていう感覚が大切。これでどうでもよくならなかったらキモい)

どうでもいいとしても、どちらかを選ばなきゃならない。

どちらを選ぶか。

僕はやはり、死者蘇生を選ぶだろう。(その時のテンションによるが)

なぜか。

それはやはり、クローンは「自分ではない」からだ。

時間の重なりがある場合と時間の重なりがない場合の違いは、単に「神しか知ることができない」というだけであり、そのことは本質的な違いを生まないはずだ。

「今の自分」が消滅したという事実がある限り、それが我々に認識できようができまいが、クローンは自分ではない「別の何か」である。

死者蘇生とクローンは違う。

クローンが殴られても自分は痛くない。

自分が消滅してクローンが現れるというのは、自分ではない、よく似た「別の何か」に取って代わられるということだ。

自分は確実に死ぬのだ。

クローンについて考えていると、自分の死というものがわからなくなる。

そうなるとますます僕は、精神性というものが美しく感じる。

受け継がれていく意志がある限り、人の精神は生き続ける。

ONE PIECE』の世界を貫く哲学だ。

――― 人は いつ 死ぬと思う…?

心臓をピストルで撃ち抜かれた時…

…違う

不治の病に犯された時…

…違う

猛毒キノコのスープを飲んだ時…

…違う!!!

…人に 忘れられた時さ…!!! ―――

 Dr.ヒルルク

$煩い書きなぐり

「どこでもドア」の哲学へ続く

自分とクローンが同時に存在する場合で、記憶だけでなく、痛みや心などの感覚もクローンと共有していたらどうだろう。

脳の無線LANといった感じか。

そうなってくるともう、クローンは自分と同じ存在となる。

「自分の体積が増えた」みたいな。