「どこでもドア」の哲学
まずは→<意識>をめぐる考察へ
数ある『ドラえもん』の道具の中でも、誰もが一度は使ってみたいと思ったことのある道具、「どこでもドア」。
その驚くべき機能は、
・目的地を音声や思念などで入力した上で扉を開くとその先が目的地になる
・10光年以内の10光年以内の範囲内のみ有効である
とのこと。
思うだけでそこへ行けるらしい。
こりゃ便利だわ。そりゃ人気でるわ。
さて、この道具が実用化されたとする。
「思った場所に自由に行ける」ってのはちと厳しそうなので、「ドアAとドアBがあればそれらを自由に行き来できる」というの機能だとしよう。
ドアAもドアBも持ち運び自由ならば、これはどこでもドアと呼べる代物だといえるだろう。
さて、この実用化された(なんちゃって)どこでもドア、あなたは利用するだろうか?
「そんな便利な道具を利用しない手はねえぜ!」という声が聞こえてきそうだ。
でも、ちょっと考えてみて欲しい。
本当にこの道具を使って大丈夫なんだろうか?
このどこでもドアを現在の科学で想像できる範囲で造るとしたらこうだろう。
・ドアAでのび太の人体構造のデータが分子レベルでスキャンされる
・スキャンされた情報がドアBに転送される
・ドアAをくぐったのび太は消滅させられる
…!!
これは、前回の思考実験(→死者蘇生の男)の、クローンの場合に他ならないではないか!!
ドアBから出てきたのび太をのび太だと認めると、クローンと自分は同じだと認めることになる。
ドアBでの消滅がおからなかった場合を考えてみればいい。
「のび太」は2人に増殖するとでも言うのか?
つまり、「ドアBから出てきたのび太」はクローンに近い存在であって、「元ののび太」ではないということだ。
この話を聞いても、あなたはこのどこでもドアに入るだろうか?
僕は怖くて入れない。
参考サイト:
こんなもんじゃ済まないどこでもドアの思考実験!!
のび太は2人いる あるいは、のび太はどこにも存在しない どこでもドア論考/実存浮遊
読んでて脳にたくさん汗をかいた。
どこでもドアの裏側なんて考えたこともなかったなぁ。
本家「どこでもドア」がはらむパラドックス、とでも言うべき問題だろうか。
やはりマンガ設定のどこでもドアを造るのは不可能な気がする。
→多重人格の男へ続く