新陳代謝の男
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■ 構成要素が入れ替わった自分は自分か
「テセウスの船」という思考実験がある。
― ミノタウロスを退治した王、テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船があった。アテネの人々はこれを後々の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、やがて元の木材はすっかり無くなってしまった。
テセウスの船は哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである―
これはアイデンティティー(同一性)に深くかかわってくる問題である。
ある物体を構成する要素が徐々に置き換えられ、やがて全てが置き換わったとき、以前の物体と同じであると言えるのか。
この種の問題はいくらでも考えることができる。
例えば、穴が空いてしまったお気に入りの靴下に当て布をしていき、やがて出来上がった当て布だけの靴下は元のお気に入りの靴下なのか。
巨人軍は永遠に不滅なのか。
そしてこれは我々人間についても言える。
人間は新陳代謝などによって全身の細胞がたえず入れ替わっている。
3ヶ月もすると、全身の細胞が入れ替わってしまうらしい。
「3ヶ月前の自分と今の自分は同じか」という問いには、誰もがどや顔で当然のように、「同じだ」と答えるだろう。
しかし、この3ヶ月の入れ替わりが一瞬だったらどうだろうか。
これは以前考えた、一瞬で作られるクローン(→死者蘇生の男、「どこでもドア」の哲学)の場合と同じだ。
以前の結論によると、一瞬にして全構成要素が入れ替わってしまった“自分”は、“自分でない何か”ということだった。
だから一瞬で細胞が入れ替わると自分ではなくなってしまうということになる。
これはどういうことだ?
わけがわからなくなってきた。
1つだけ入れ替わっても自分は自分なのに、全て入れ替わったらそうではなくなるのか。
そしてここで当然のように次の疑問がでてくる。
「1つを残して他の全ての細胞が入れ替わったらどうか」
「それじゃあ一体いくつ細胞が入れ替わったら自分は自分じゃなくなるんだよ!」
「いくつの細胞が自分なんだよ!さっさと答えろよ!」
1つだけ細胞が入れ替わっても自分は自分なのに、1つを除いて全て入れ替わったらそうではなくなる、というのは哲学的ではない。
もうこうなったら「3ヶ月前の自分は自分でない」という考えを採用するしかない。
自分なんて存在しない。
→続・どこでもドアへ続く