続・どこでもドア
前回(→新陳代謝の男)の構成要素の入れ替わりを考える上で、わかりやすい例を思いついた。
実用的などこでもドア(→どこでもドアの哲学)にさらに「ドアAとドアBが電波で情報を送り合う」という設定を追加する。
このドアに自分の体の下半分だけ入れるとする。
ドアAから上半身が出ていて、ドアBから下半身が出ているといった状況だ。
そうすると、ドアAとドアBは情報を送り合うので、血液や神経を流れる電気信号も ドアA⇔ドアB で転送し合って、ドアに体を半分いれた状態でも生活できる。
(自分の下半身が遠くへ行ってしまった!)
例えば、ドアBにある自分のアレをフェラチオされたら、刺激がドアBから転送されてきてドアAの脳からは快感物質が分泌される。
そして、さらにそれがドアAから転送され、ドアBの自分のアレはカチカチになるというわけだ。
さて、このドアにゆっくりと体を挿入していく場合を考える。
マンガ『GANTZ』の転送のシーンをイメージするとわかりやすい。
これはまさに、自分の構成要素の入れ替わりそのものである。
ドアに体を入れていくと、徐々に自分の細胞が入れ替わっていく。
ゆっくりドアに入っていくと、ゆっくりと構成要素が入れ替わっていき、ワープ完了と同時に全て入れ替わる。
ドアBから出てきた自分は<自分>と言えるだろうか。
「どこでもドアAに入って消滅させられ、ドアBにデータが転送され再生された“自分”は自分ではない」と主張するのなら、この場合はどうなんだ。
どの段階で自分は自分ではなくなってしまうのか。
しばらく「意識」や「自分とは何か」についていろいろと考えてはみたけど、
なんか同じ地平を彷徨ってるだけで結局何も進展しなかった気がするなぁ。
でも楽しかったからいいもんね。
一連の思考実験はこれにて終了。
■ 結論
「自分は自分」っていうのは曖昧なものである。
その人感じ方次第。だからどうだっていい。
「意識・自我」っていうのも曖昧だ。たぶん。
だからどうでもいいや。
よってこの世の全てはどうでもいい。
なるようになれ。
ドアに下半身だけを入れた人にインタビューしてみよう。
「ドアAにある上半身とドアBの下半身はどちらが自分ですか?」
これには、ちんこが本体だと思っていない限り、上半身が自分だと答えるんじゃないだろうか。
「上半身には脳がある、脳がある方が自分だ!」と。
ならば、このドアに体の左半分だけ挿入したらどうだろう。
左半身はドアBから出ていて、右半身はドアAから出ている。
左目はドアBからの景色を見ていて、右目はドアAからの景色を見ている。
自分はドアBにある左脳で考え、ドアAにある右脳でも考えている。
これだったら右半身も左半身も「どっちも自分だ」って答えるんじゃないだろうか。
でも、そう主張するのなら、自分が一瞬で消滅して一瞬でクローンが作られる場合(全身の構成要素が一瞬で入れ替わる場合)、自分とクローンは「どっちも自分だ」って認めなきゃいけない。
ほら、どうでもよくなってきたでしょ?