科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】君が代条例

以下転記。

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『シンボルを汚すもの』

「絵踏」において

・踏んだ人

・踏まなかった人

・踏ませた人

「イエス像」「マリア像」を

 もっとも冒涜したのは誰でしょう?

ちょっと考えたら、

足で踏んだ人よりも、

踏ませるように仕向けた人、

より正確に言えば、 「シンボル(イエス・マリア)を支配の道具に利用した人物」

であることは、すぐ分かると思います。

このことを「現代の絵踏」

「国旗国歌への服従命令」に応用するとどうなるか?

「強制的に冒涜させる」(絵踏)

「強制的に尊敬させる」(国旗国歌)

の違いはありますが、

「シンボルを利用する」という点で一致します。

そして、

シンボルを冒涜するものは

「させる側(強制する側)」です。

であれば、

「国旗国歌を、支配の道具に利用するな!」

という真の愛国者が沢山いてもいい*と思うのですが、

浮かぶのは「鈴木邦男」さんくらいですね。

mixi日記を覗くと。。。唖然

「みずほ」と聞いて、

社民の党首しか浮かばない似非ウヨが多い現代日本ですから

仕方の無いことなのか。

(*体を張って=職を懸けて、国旗国歌利用体制に反対しているという意味では、

  処分された人たちは、ある意味で愛国者です)

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『国を愛せと国が言う』

教育勅語」が発布された際、文中の「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ」という部分に関して次のような意見が出たそうです。

(この部分の口語訳は「私の臣民は実直に忠孝を尽くし」となる。「忠」は天皇への忠誠。「孝」は親・先祖への忠誠)

【陛下自らが臣民に対して、「(自分に対して)忠実に」とおっしゃるのは不可解なことではないか。】

言い換えると、「自分に対する国民からの尊敬を、自分から求めちゃあかんのとちゃう?」というものです。そして、これは反天皇主義者から出た批判ではなく、「陛下にそんなことを言わせては申し訳ない」という天皇への配慮からでた意見です。

(友田宜剛『詔勅の謹解と日本精神』昭和18年より)

何が言いたいかといいますと、政治的に右であれ左であれ、「自分で自分をヨイショする行為」は「とっても恥ずかしいこと」なのです。

先日、与党内で教育基本法変更案がほぼまとまり、各地で話題となっております。

一番気になる変更点としては

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言が入る、というものが挙げられます。

この点において、「良心の自由」の見地からの批判が盛んですが、今回の日記では先に述べた点から疑義を呈したいと思います。(もうお分かりですかね)

仮にこんな奴がいたらどう思うでしょうか?

①ダメオヤジ編

「父さんはスゴいんだ。だからお前らは父さんを尊敬すべきなんだ」

②ナルシスト編

「僕はスゴいんだ。だから君達は僕を尊敬し、敬愛するべきなんだ」

③ストーカー編

「俺はスゴいんだ。だから君は俺を愛すべきなんだ」

①なら笑えますが、②③に関して恐らく大多数の人は、「キモッ」って思うでしょう。

しかし、これと同じことをしているのが今回の変更案なのです。

もう一度、変更案を見てみましょう。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」

そもそも「法律」というものは、良かれ悪しかれ「国民を縛るもの」です。(これに対し「憲法」は「国と下位法を縛るもの」。この点に関してはまた後日の日記で)

ゆえに、法律文の主語は「統治機構としての国」なのです【注①】

つまり、変更案が盛り込まれた場合、教育基本法は「統治機構としての【国】が国民に対し【愛国】を要求する法律」となりましょう。【注②】

【国が国民に対し愛国を迫る】

これは、怖い、そして気持ち悪い。

そしてこの恐ろしさはストーカーの比ではありません。

ということで簡単に図式化すると、法令に「愛国心」を盛り込もうとする「愛国心論者」=「ストーカー」なんですね。(一部右翼がよくやる「単純化」を用いさせて頂きました)

つきましては、前々回の日記で紹介した安倍晋三さんは日本を代表するストーカーなのです。明日から安倍さんのことをヘビーストーカーを呼ばせていただきます。

以上、ポップに(?)与党変更案を批判してみました。

次回は、より中身に立ち入った論を展開していく予定です。

最後に、今回の与党協議に関する僕の見方について少々触れておきます。

「与党」協議であるため、「自民党公明党」の関係ばかりに目が行きがちですが、「憲法改正」「教育基本法改正」問題に関して「党」という枠組みを取っ払うと、国会議員の優に7割が「改正賛成」に属すと言ってよいでしょう(自民のほとんどと民主の半分が改正派である)。この国会力学(?)の中で、自民・公明・民主が牽制しあっている、そしてその中で「改正問題」が動いている、というのが現状なのです。

 ゆえに、「自公の駆け引き」のみで政局を見るのではなく、「ほんとに悪い奴はだれなんだ?(誰が何の為に憲法を変えたがってるのか?)」という見地から改正問題を見ていかないと簡単に世論誘導されてしまう、というのが僕の認識。

 そして、今、僕が考える「ほんとに悪い奴」は「一部財界人と一部政治家」です。(今回はこの程度で。今度ちゃんと書きます)

【注①】

現行の教育基本法の前文に「われらは」という言葉がある。「国」が「われらは」と言うわけがないので、この主語は「主権者(制定者)としての国民」となってしまう。ゆえに、ある意味この部分の私の結論は破綻しているといえなくもないが、本論で述べたように、そもそも「人を縛る」法律の文中に「われらが」とあるのがおかしいわけであって、破綻しているのは私の論ではなく、「法律」の方である。(そういう意味では改正は必要だ。教育基本法はやはり憲法に組み込むべきであった。)こういう話もまた書きます。

【注②】

与党協議において公明党は「わが国と郷土を愛する」の「国」は「統治機構としての国でない」との言質を自民党から取った。これは(力関係を考えると)凄いことで大いに認めるべきことである。が、残念ながらこの言質は法施行後には黙殺されてしまうだろう。なぜなら、国旗国歌法制定の際も公明党は文部大臣から「強制はない」との言葉を引き出し、また条文から「尊重義務規定」を外すことに成功したが、現在、現場に「尊重の強制」は溢れているからだ。

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以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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◆教師の側が迷惑を掛けている?

バカいっちゃいけない

東京都は、自主的で自由な卒業式を取り組んでいた

よく考えたら、それは当たり前だろ?

卒業する生徒たちが、卒業制作を作り

それを壇上に飾る

在校生も、卒業を祝う企画をする

そういう卒業式の一切を禁止して

事細かに、卒業式のカタチを押し付けてきた

だから混乱が生じているんじゃないか!

それに実際には、卒業式で誰かに迷惑を掛けるような騒動は

起きてないYO!

そもそも、卒業式のカタチを強制しなければ

問題にはならないんだから

責任は、押し付ける側にある

この事実が、世間では逆立ちして伝わっている

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「たかが歌くらい、歌えばいいじゃないか」

そんなことをおっしゃる方もおりますが

では、なぜ?

「たかが歌」なのに

そんなにまで、必死で強制させようとするのでしょうか?

この国は、いつから北朝鮮のような

軍事独裁国家のように

国に忠誠を誓うことを、強制するまでに

零落れてしまったのでしょうか?

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転記終わり。

参照

【転記】国旗の掲揚、君が代の伴奏、起立は業務か?

君が代を歌わない自由、自分が伝えたい事実を口にできる自由~君が代不当判決に日弁連会長声明/情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)

「残念な卒業式」で残念だったのは誰か

実際に卒業式に参加した生徒や父母の意見