【転記】人権と人権は対立するか 人権と経済学
以下、mixiの猫王さんの日記より転記。
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『喫煙権、及び人権と人権は対立するかという話について』
◆喫煙の自由
まず、喫煙権じゃなくて
「喫煙の自由」だね
で!
これは文字通り、喫煙するのは自由ジャン・レノ!
って事だよね
◆健康であることの権利
嫌煙権とは、これのことだね
健康でも、その延長線上の命でもいいんだけど
当然、それが脅かされてはいけないわけだ
当たり前のことだねん
◆嫌煙権を、他の話で例えると
暴力を、他人に振るう自由や権利なんてないよね
そして暴力から守られる権利が、当然あるよね
◆喫煙の自由と、嫌煙権の論争
これは、上述した二つが対立しているってこと
喫煙の自由と、健康や命が守られる権利が衝突している
何をするにも、まず人間は自由であるべきなんだけど
人間は社会的動物だから
他人と共存して生きている
自由だといって、他人の人権を侵害するほどのものは
認められない
当然、自由は制限されることになる
タバコの煙は、喫煙している本人だけじゃなく
周りの人の健康も害する
だから、喫煙の自由は制限されなきゃいけない
そうやって制限された中で
誰にも迷惑を掛けない範囲で、喫煙の自由が担保され
喫煙の自由は、「喫煙権」となるわけだ
■以下余談
法学は、自由と自由権の区別
人権と権利の区別
自由がどうやって自由権となるのか
そういったものを、曖昧にしていると思うな
■人権と人権は衝突しない
権利と権利は衝突することがあるかも知れないけどね
(義務は権利の対義語かも知れないが、人権は義務の対義語じゃない)
これには、ほぼ全ての多くの法学徒が意を唱えるかも知れないし
恐らく、どの人権のテキストにも載ってないと思うが
自説が正しいと思っている
なぜそう思うのかを、以下に綴っていきます
※法学において諸説あるけど、権利の明確な定義はないみたいだね
◆それぞれの言葉の意味
人権は海の向こうからやってきた概念だが
その大元ではなんという?
「human rights」だよね
「right」の意味は、「正しい」だよね
他人の人権を侵害する行為は、正しくないよね
人権とは、自由について、あれやこれや鑑みて
許容されたものだよね
人権の別の訳は、「civil liberties」だよね
「市民の自由」だよ
この「市民」は、社会を前提とした言葉
ここでは、社会そのものと受け取っていい
「市民の自由」という場合の自由は
当然、社会が認知している自由のこと
(人を殺す自由は、「市民の自由」じゃないからね)
この、「社会の認知」というのは
他人の人権を侵害しないという意味に他ならないデスラー総統
◆right≠civil liberties
「right」の訳は、「正しい」という意味や使い方と区別されて
「権利」という意味もある
このことから、人権概念が輸入されたときに
人権と権利を、最初の学者たちが
混同しちゃったんじゃない?
「human rights」と「right」が=じゃないことは明らかだし
(義務は権利の対義語かも知れないが、人権は義務の対義語じゃない)
「human rights=civil liberties」であっても
「right=civil liberties」じゃないよね
この議論においては、法学は「human rights」と「right」を混同している
くどいようで、でも大事なので何べんも云うが
権利の対義語は義務かも知れないが
義務は人権の対義語じゃないよね
◆人権と人権が対立するんじゃなくて...
「自由と自由」や、「自由と人権」
もしくはそこに権利も絡んで対立する
これらが対立することは
喫煙権と嫌煙権の話で述べたように
実際にあるわけだが
その結果、その問題における人権が
具体的に定まってくるんだな
(喫煙の自由が制限されて、喫煙権が定まるということ)
これがさ
法学が、「人権と人権が衝突したら・・・」
なんてやってるけどさ
それはあくまでも
概念の理解、学習の方便としてやってるにすぎないはずでしょ
なぜか、その論理立てが
法学の中で、社会的合意として、正しい事として通っているんだよね
※喫煙権が法的な推論を超えて、本当に正しいかどうかは
健康への被害を考慮すると
まだまだ、考えていかないといけない
◆人権の制限
人権が制限される場合は、社会の再生産の観点からみて
よほどの強い根拠が必要
再生産を大きく阻害するとなって
はじめて、人権は制限できる
実際にさ、刑法によって人権は制限されるじゃん
そういうのを見て、人権と人権は衝突することがあるなんて
安易に思っちゃうんじゃない
自由と人権や、権利と人権の区別を混同したまま
◆さいごに
単純に、俺がどこに住んでもいいっていうのは
それはまず、ただの自由なんだよ
自由だからといって
本人のことわりもなく勝手に
アンジェリーナ・ジョリーの家に住んでいい訳ないだろ
それを実行したら、アンジーの人権を侵害しちゃうことになる
人権侵害しない範囲での自由が、「居住移転の自由」として
自由権となるわけだ
自由から、自由権へと発展(昇華)するわけ
俺の「居住移転の自由」と、アンジーの人権が
衝突するんじゃなくて!
俺の自由と、アンジーの人権が衝突するわけだ
●ここで終わるなら、法学と同じでただの言葉遊びにすぎないわけだ●
法学のいう「人権と人権の衝突」は
推論、弁論術、修辞学、社会的合意の粋にとどまるわけだ
なぜかというと
実存する客体を、根拠に持ってないから
法学の定説(?)に対して
「人権と人権は衝突しない」という私の主張の方が
正しいと云うのはさ
ちゃんと実存する客体を根拠として持っているので
推論の正しさを、確かめることが出来るから
これを解りやすく例えると
法学は仮説でとどまっているけれど
私は、仮説を正しいとするための
前提となっている根拠を、ちゃんと持っているということ
私がよく云ってることだけど
「人権の必然性」すら、きょうびの法学は語れないだろ
本来なら語れるんだけどね
昔の法学者や社会科学者は、私と同じ方法論でもって
人権の必然性を導いているから
■簡単に、私の云う「根拠」について、説明して行こうジャマイカ
順番に説明して行こうネ!
◆人権は、民主主義社会の属性
辞書引こうか
ぞく‐せい【属性】
1 ある事物に属する性質・特徴。「ゴムの―である弾力性」
2 哲学で、事物が本来具有する根本的性質。それなしには実体が考えられないような本質的な性質。
基盤とか土台と捉えてもイイデス・ハンソン
民主主義社会は、人権を守ることによって運営されているよね
これは、云うまでもないことだよね
字数の関係もあるし、分からない方は
憲法の初学者向けテキストでも読んでください
※お勧めのテキスト
『憲法読本』 杉原泰雄 岩波ジュニア新書
これには、p159の後ろから4行目以降に、こう書いてある
「それ(人権)を保障することこそが政治の目的」
◆社会は継続(再生産)しなければいけない
全ての社会問題を考察するときは
「社会の継続(再生産)という観点から、取り組まなければならない
ある問題が起こったときに、どうするか判断するときに
社会の継続(再生産)に支障がなければ良し
あればダメ
そうやって、継続(再生産)できるかどうかを、基準に置くんだよね
なぜかって?
単なる人の集まりと、社会との区別は
継続(再生産)するかどうかで行う
再生産されるから、人間の集まりは「社会」となる
そのことは、生命の定義で考えるとわかりやすい
(生命の定義はいろんな議論があるけど)
生命は、自律的に継続するものだよね
「種」が定められるのも
一固体だけなら、突然変異だけど
それが、世代交代して継続していけば、種となるよね
人類社会というのは、継続しなければ社会と呼べないわけだ
その社会の「問題」だから
社会を運営するときに
社会の継続にとって、支障となるものを
「問題」として扱うわけ
だから、人権上の問題も(人権は民主主義社会の属性ゆえに)
社会が継続(再生産)するかどうかを基準に、考察されなければならないんだよね
◆社会が再生産されるには?
再生産を阻害するものを、除外しなきゃいけない
もし人権がさ、他人の人権と衝突することがあるのならば
それは、社会の運営と、再生産を阻害するよね
阻害するものが、社会の基盤であるということは
自己矛盾するよね
◆労働によって社会は再生産される
民主主義社会に限らず、どの時代の社会も
客観的事実として、人間の労働によって再生産されているよね
人が生きていくための富を生産し
その富でもって、次世代を育む
労働によって作られた富によって
社会は運営され、継続していく
人間の労働が滞りなく継続されなければ
社会は、再生産されない訳だ
あらま!
人権についての問題を、法学上の問題を考えていたら
「労働」というものを、理論的根拠にしないといけなくなった訳だ
◆経済学
私の説の根拠を、客観的に実存するもの、客体に求めていくと
経済学を理解しなければいけなくなってしまった!
人権が民主主義社会の属性(土台、基盤)となると云うのも
経済学が、明らかにしている
民主主義社会が、その時代の主たる政治制度となるのは
資本主義経済になって、はじめてそうなる
なぜかって?
その時代がどういう社会であるかを規定すのは
その時代の富の、主要な生産方法が
どういう生産関係によって行われているか
それによって規定されるから
資本主義の時代より以前の社会は、人権があれば、その時代の主な富の生産が出来なくなるから
資本主義経済は、人権がなければ成り立たない
ここに、人権の必然性がある
封建時代から、資本主義の時代に遷るときに
人権が必要になったから、人権が法として定められたのだ
詳しくは、コチラを参照して下さい
このような経済学の命題から
民主主義社会は、人権を基盤にすることは
正しいと証明できるのできるんだね
ちなみに、社会の継続(再生産)についても
経済学が、その中身を説明しているんだよね
社会というのは継続されなきゃいけないわけだけど
資本主義社会では、資本が再生産されることによって
社会の継続が出来るんだよね
資本は、自律的に自らを再生産するという経済学の命題によって
社会の継続(再生産)の具体的な中身は
明らかにされる
ここについては、説明しない
説明するのは無理
何千ページは軽く超えるから
※富とは何かについては、私の過去日記を参照して下さい
※社会(国家)って何だ?って事も、私の過去日記(コメント欄も)を参照して下さい
◆余談のまとめ
民主主義社会は人権を基盤、属性とする
そもそも社会(一般。民主主義社会でなくても)は再生産されなきゃならず
それを阻害するもののは、基盤にはなれない
だから人権は、社会の再生産を阻害するものではない
これらは、推論ではなく客観的事実であり
理論的にも経済学が明らかにしていることで
私の説は、これを根拠として、ここから展開されている
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