科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】可能性と蓋然性

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『侵略されないことの前提が覆ることも、絶対にない』

絶対に日本が侵略されないということは

私はキチンと論証しておりますが

「それは認めるけど、いつまでも条件は変わらないという保証はない」

という論旨のご意見を賜ります

侵略されないことの前提も

絶対に覆りませんし

そのことも、ちゃんと説明しております

『私がアンジーに求愛される可能性』

猫王が、アンジェリーナ・ジョリーに求愛される可能性は?

キングさん、私あなたの事が好きなの!

一晩でいいから、抱いてください

お礼に一億円さしあげますから

こんな可能性、どれくらいあると思いますか?

いくら私がイケメンで、知力体力ともに充実していて

ミクシイ・ユーザーの奥様方をはじめ

女学生から老女までを虜にしているナイスキャットだといっても

可能性は、ゼロですよね!

ええ、そうですとも

私は自分のことを、よ~く知っております

アンジーが私に一億払ってでもいいから抱かれたいだなんて

言うわけがありません

完璧に、可能性はゼロです

たーだ!

不可能なことではありませんよね

私もアンジーも、いま同時代に生きており

接触することは、可能といえば可能

そして、彼女はハリウッドの人気女優

一億を無駄使いすることは可能です

アンジーがその気になれば、そういうことも可能だ

と、言う話にすぎません

くどいようですが、可能性はゼロです

だけど、私が宝くじで3億円を当てる可能性は

天文学的に低い確率ですけど

ありえます

宝くじ一枚の値段は、買ったことがないから知りませんが

数百円くらいでしょう

それを買うだけの財力は

「色男、金と力はなかりけり」と申しましても

イケメンキャットな私でも、それくらいの財力はあります

買えば、非常に低い確率ですが

当るチャンスはあるからです

んでね、ここからが本題

大学の研究者レベルの人と

以前にやり取りしたんですが

私が何回も日記に書いている

『日本が侵略されるなんて絶対にありえない』

ってやつあるでしょ?

あれに対して研究者さんは

中国共産党の幹部が狂って

道理を無視して戦争する可能性もあるよね」

なんてアホなことをくっちゃべりやがります

もしくは、独裁者が突然、猿をペットに飼いだして

とても気に入って、いつも連れ歩いている

そして、そのペットの猿が

核ミサイルのボタンを、ぽちっと押してしまった

こーれーらーは!

先ほど説明しました

アンジーが私に一億払うから抱いて欲しいという例えと同じで

そういうことも可能だと、いうだけのことです

現実的な可能性、事の起こる確率といえば、完全にゼロです

侵略できない客観的な事情として言えば

アメリカや中国、日本などが

経済的に「共依存」にあるので

戦争を起こせる、現実的な可能性はゼロとなるのです

現実的な可能性や、ゼロでない確率を

侵略問題で求めようとすると

この「共依存」という条件を外さないといけない

例えば中国が、経済圏から脱して

自主独立で、十分にやっていくことができ

更に、日本を侵略して

戦争にかけたコストを上回る利益を挙げられること

そうなることの

現実的な可能性があるということです

これが現実になるには

先ほどの宝くじの例に挙げたように

くじを買うことに相当する

実際に仮定したことが起こりえることを

客観的事実と共に、証明できなければなりません

事実をみていくと

それは存在しませんので

日本が中国に、侵略される可能性など

是~~~~~~~~~~~~~~ったいにありえないと

言い切れるのデスラー総統

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『我が家に暴れ象が飛び込んでくる確率はあるのか? 』

今日、我が家に暴れ象が飛び込んでくることは

漠然と、ありえるかも知れませんが

(これを抽象的可能性といいます)

そうなるためには

近所の道を、動物園か何かの

象の運搬車が通り

偶然にも事故が起き、像が逃げ出さないといけないです

今日、象が近所を運搬されることがない限り

暴れ象が、うちに飛び込んでくる可能性はゼロです

現実的可能性とは

そういう事実が、まずあってこそ成立するのです

これを、具体的可能性といって

「可能性」という言葉を口にして何かを議論するには

コチラでなければなりません

この「具体的可能性」の話は

確率に置き換えても同じです

ただ単純に起こった出来事を全人口で割った数字を出してきているだけで

(抽象的な、ただ漠然とした確率)

それが実際に、ある個人(自分とか)に

その出来事が起きる確率じゃありません

不特定のある個人にそれが起きる確率を言おうとすれば

具体的な根拠が必要となるのです

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更に手短にいうと

可能性(possibilityではなく蓋然性(probability)

(事象が実現されるか否か、またはその知識の確実性の度合のこと。公算。確からしさ)

があるかが、問題なのです

文章じゃなくて、口でだったら

いくらでも例えを話せるんですけど

文才のない私が、ダラダラと書いてもね

その点!

明治の大文豪であり天才である夏目漱石

たったの一行で、これを説明しております!

「私が講義中に突然、逆立ちをする可能性はありますが、蓋然性はありません」

想像には根拠がないこと、反論にならないことを

夏目漱石などは、単語で説明するという

文学的な、上手な説明をしております

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「じゃ~ifの話として」

と言って、詭弁だと意識するしないは別として

空想の話を持ち出してくる人もおります

これも、反論として成り立っておらず

問題外です

仮に、明日宇宙人が侵略してくるとして

その時にどう対処するんだ?

そういうことも想定して

宇宙戦争技術も開発すべきだろう!

こういう意見の、どこが詭弁か分りますか?

「仮の話」を「現実の問題」にすり替えているからです

起こる可能性を提示できもしない

空想の話をもってきて

そのときにどうする?

という技術論に入って

ただの空想ゴッコ、言葉遊びをして

実際にその予算を組めという

空想のゴッコ遊びと、現実の問題を混同する詭弁

論旨のすり替えでしかありません

一般論で、抽象的に可能性があると言っても

それが現実に起きる可能性を提示できなければ

それは、不可能なことなのです

私が文明の全くない無人島にいるとしますよね

そこで、車の交通事故に遭う可能性は

抽象的、一般論的にあります

だけど、その島に

ちゃんと動くことが出来て燃料も詰まれた車が

運ばれてくることが

現実に、起ってから

初めて成立する可能性です

島に、そういう事が予定されない以上

私がその島で、交通事故には

絶対に遭いません

絶対に日本は侵略されないということの

意味はお分かりいただけたでしょうか?

この説明で分らなければ

私の能力の限界もありますし

それは、私がご説明したり

お付き合いできることは、なさそうです

明日、私が飛行機でカナダのケベックに行って

最初に目にした女性に、プロポーズをすることは

やろうと思えばできますけど

絶対にしません

昨夜、コンビニで見かけたお兄ちゃんも

今朝一番で成田から飛んで

十数時間後に、同じことをしようと思えばできますが

そのそも、そんなことを考えないでしょう

何か物事が起こることを前提に

現実的な対応策を

話を進めるのであれば

それが、実際に起こりえるかどうかの蓋然性を

示せないと

話言葉ですけど、ありえないと言い切れますね

今日、我が家に暴れ象が飛び込んでくることは

漠然と、ありえるかも知れませんが

そうなるためには

近所の道を、動物園か何かの

象の運搬車が通り

偶然にも事故が起き、像が逃げ出さないといけないです

今日、象が近所を運搬されることがない限り

暴れ象が、うちに飛び込んでくる可能性はゼロです

現実的可能性とは

そういう事実が、まずあってこそ成立するのです

中国や韓国が、日本に侵略戦争を仕掛けるなど

まずそうするための条件がない以上

可能性は、絶対にゼロだと言えます

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「可能性」というものを語るときには

現実的に、それが起こりえる条件がなければ

ゼロです

魚のいないプールでは

釣り糸をたれても、魚が釣れる可能性はゼロですから!

ここで、そのプールの側に

生きた魚を運ぶ車が走り

横転して、プールに魚が生きたまま入り込めば

釣れる可能性がでてきます

しかし、その事をもって

釣竿を売るセールスマンが

そのプールで魚が釣れる可能性がゼロではない

そのプールで魚を釣るために

釣竿が必要です。買いましょう!

なんて言えば、人を欺く行為です

これと同じことが、米軍基地問題なのです

現実的には、釣ることが出来ない

その可能性はゼロであるのに

一般的、抽象的な「可能性」についての話をして

ゼロでないと言っても

相変わらず、そのプールで魚が釣れる可能性はゼロなのです

そこに生きた魚が混入する可能性を提示できなければ

具体的な可能性について論じることは出来ません

いわば、インチキや詐術です

現実の、具体的な問題に対する可能性

それを論じるのに

一般的な、抽象的な話をもってきて

「可能性」を論じるのは

話のすり替えです

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転記終わり。

「可能性はゼロではない」には注意が必要だ。

「その可能性が“現実的な”可能性、もしくは“意味のある”可能性であるかどうか」を考えなければ詭弁にひっかかる。

参照

【転記】日本がどこかの国に侵略される可能性は絶対にない