科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】+刑法・刑罰体系の致命的欠陥 度量衡+

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『刑法・刑罰体系の致命的欠陥』

憲法や法は、客観的でなければならない

社会のルールは、客観的でなければなりません

そうでなければ、従う必然性を失うからです

私的なルールは、客観的である必要がありません

「俺の物は俺の物 お前の物も俺の物」

ジャイアンのルールは、暴力でもって強制的に従わせる

私的なルールです

社会は、多様な人々が存在しております

人それぞれ、様々な価値観を持って暮しております

だからこそ社会のルールは、誰もが納得いくものでなければなりません

それを保障するのが、「客観性」です

◆刑法・刑罰は客観的か?

「懲役何年の刑に処す」

ドラマなんかで良く見られる光景です

ところで

殺人のあなたは懲役20年

強姦のあなたは懲役10年

窃盗のアナタは懲役2年

この○年って、一体どうやって決めているんでしょうね?

法律に基づいてるって?

そんなことは分かっております

何を基準に、量刑を決めているのか?という話です

上で例に挙げた量刑は、話を進める上での例えなので

そこの所はお願いします

強姦の10年は、窃盗の2年の五倍、罪が重いのでしょうか?

殺人の20年は、強姦の10年の二倍、罪が重いのでしょうか?

◆数を扱うには、基準となる度量衡が必要

「度量衡」とは、いろんな量を測るときの

基準となる「モノ」であったり、そのための単位のことです

グラム(g)という単位が、度量衡の一つです

1グラムは世界中のどこであっても、同じだけの重さを持ちます

アフリカで計った1グラムは、カナダで計った1グラムより重い

そんなことはありません。どちらも同じ重さです

重さを量るには、客観的な度量衡が必要です

それがあるからこそ、これは何グラム、あれは何キロなどと

重さを、客観的に知ることが出来るのです

度量衡とは、客観的な物でなければならない事は、言うまでもありません

◆罪の重さはは、どうやって量るのか?

先の例に即して説明しますが

ある殺人の罪の重さが20年

それはどういう根拠があってのことでしょう?

10年、20年という、時間という量を扱う以上

物理的にも観念的にも、量刑は比較できます

比較の話ではないという方は、残念ながら

私の講義を受ける基礎的な教養に欠けております

まずは、義務教育の算数にお戻り下さい

話を戻しまして

懲役○年という量刑は、一体どうやって決めるのでしょう?

そのための基準となる度量衡は、世界のどこを探しても

誰かの脳内を探しても、物理的にも観念的にも存在しません

◆とりあえずのここまでの結論

量刑でもって犯罪に対処する、今の刑法・刑罰体系には

客観的な根拠を持っていないのです

社会のルールであるはずの刑法・刑罰は

量刑でもって対処する限りにおいて

度量衡を持たないがゆえに、客観的ではありません

ゆえに、それに従うべき強制性、必然性は、存在しないということです

すなわち、今の刑法・刑罰の体系には

致命的な欠陥があるのです

◆もう少しお話をすすめましょう

先に述べた結論は、あまりにも決め付けすぎて

法学の側からは、意見したところもあるでしょから

話題を拡大して、テーマを掘り下げてみましょう

◆量刑の根拠は「更生」

とても大雑把に申しますが、量刑の「主たる」根拠は

この罪に対しては、これだけの間

刑務所に入れておけば反省するだろう

と、いう事に尽きます

上の例でいうと、殺人なら20年

窃盗なら2年の間、刑務所に入れておけば

もう二度と同じ罪を犯すことはないだろう

「再び同じ罪を犯さない=更生」

ここでは、そう定義させて頂きます

◆罰の目的は更生

もっと(刑)罰について考えてみよう

世界中のどんな罰でもいいです

何も、法律などといった公的ルールでなくてもいいです

私的な、ジャイアンルールでもいいです

俺に逆らったら殴るぞ的な、無茶苦茶なルールでも構いません

全てのルールに共通する目的は何ですか?

それは、ルールに従わせるということです

もしルールを破る者が出てくれば

罰を与えます

その者に、二度とルールを破らせないように罰を与えます

二度と同じ罪を犯させないこと

すなわち、(刑)罰とは更生を目的としているのです

◆刑法・刑罰の目的は、社会秩序の維持

人が生きていくためには、群れになります

その手段が大きくなって共同体となり

共同体の一つの形態が、国家です

ここでは国家などといかめしい言葉を使わずに

「社会」と呼びましょう

国家という言葉に、過敏に反応なさる方々もおられますから(笑)

話をもとに戻しまして

人は生きていくために、社会をつくります

社会が安寧に運営されなければ

社会は存続の危機です

社会が安寧に運営されるためには、社会のルールが必要となります

まず基本設計図である憲法

そしてそれに基づいて法律がつくられます

社会のルール(憲法や法)の目的は、社会秩序の維持

もちろん、刑法・刑罰もそれに倣います

刑法・刑罰の目的は、罰を与えることを通じて

二度と同じ罪を繰り返させないことによって

社会の安寧を保つことです

◆ここで刑法・刑罰の致命的欠陥の話に戻りましょう

客観的でなければならない刑法・刑罰が

そうであるがゆえに、従う理論的必然性を有するというのに

刑罰は量刑であるというのに、その度量衡を持ちません

殺は20年の間、塀の中にいれておけば二度と同じ罪を繰り返さない

強姦は10年、詐欺は2年

何を根拠に、そう言えるのですか?

これ以上の追求の必要がないことは、誰にでもお分かりでしょう

更生こそが、刑法・刑罰の目的です

ゆえに、更生こそが理論的中心であり

それに従うことの、論理的必然性を持つのです

だとすれば、根拠のない量刑なんてやめて

どうすれば更生することが出来るのかを考えればいいのです

◆人は学んだことしか理解できない

あまりに長くなるので、ここはこの場では詳しくは述べません

体罰がなぜいけないのかと、同じ論理です

【転記】体罰はただの犯罪です

道に「ぽいっ」ってゴミを捨てちゃう人

多少の罪悪感はあれど、それくらい構わないからするのです

こないだテレビで盗撮という犯罪について特集をしていて

専門家が、盗撮をする者には罪の意識がないと言っておりました

ある人を知っているのですが

彼はとても過酷な環境で生まれ育ちました

日本の話ですけどね

結果、他人なんてどうでもいい

自分のためになるなら、他人に何をしてもいい

犯罪だろうが構わない

そのことによって、自分さえ幸せになるのであれば

人だって平気で殺せる

言っておきますが、実在する人物です

あなたにとって、常識だと思うことは

決して、他の誰かにとっても常識だとは限りません

男は女を差別してきた

だから、女も男を差別していいんだ

こういう事を、本気でいう人たちがおります

残念ながら、大学の教員レベルでもおります

問題なのは、「差別」であって、その解消です

差別されたから差別するというのは

私の常識とは、そして知性とはかけ離れております

大学の教員レベルですら、こういう常識からかけ離れた事を言います

世の中には、学んでないがゆえに

他人には、とてもじゃないが信じられない

それぞれの「常識」が存在します

学ぶことによってしか

人は理解できません

これは絶対的な真理であり、反論不可能です

罪をおかしても構わない

もしくはそれを大したことではないと

罪の意識がない者、低い者には

教育することでしか、更生させることは出来ません

刑罰は、 「更生教育」を手段に変えなければいけません

刑法・刑罰は、懲役刑を無くし

理解するまで教育をするという

「更生教育刑」へと変貌するでしょう

いつの日か、必ず刑法・刑罰は

私がいう通りになるでしょう

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◆これまで経験した問答例

Q,凶悪犯罪者がずっと更生しなかったらどうすんだよ?

A,塀から出さなきゃいいだけの話だろ

  それくらい読み取れよ

  更生するまで出さないって話だよ

Q,更生したって誰がすんだよ? 可能なのか?

A,それを言ったら今の刑罰ですら全否定することになるだろが!

  今の刑罰だって、これくらい刑務所に入れときゃ更生する

  そういう判断でやってんだろが!

  懲役何年で更生するって、何の根拠があって言ってんだよ?

  今は事実上、更生に向けて何も取り組みをしていないのだから

  (性犯罪については、近年はじまったばかり)

  何もしない今よりは、更生教育を施す方が、よっぽど理にも適い

  効果があることは明白だろが!

  だいたい、その質問は筋違いで、別の論理のお話なんだYO!ボケが!

※これは、現役の憲法学者でも言いよりましたorz

Q,そんなにずっと犯罪者を施設の中で教育する財政あんのかよ?

A,もうどっから突っ込もうか、生きてる間に頭使えYO!

  社会の運営に必要不可欠なインフラに

  理論的には財政問題は関係ない上に

  そもそも、なぜより高くつくと決め付けてんだよ?

  今の何もしないままで、そのせいで再犯する者が、事実としているわな

  じゃ~そいつを逮捕したり裁判したり、刑務所入れたりってのは

  やっぱり税金がかかるわな

  更生教育をした方が、再犯が減らせることは必然だから

  その再犯が減る分だけ、使う税金は減るわな

  どっちがより金が掛かるか、誰にも分からんわな

  分からないのに、「より掛かるかもしれない」って妄想だけで

  犯罪者を塀の中に閉じ込めるだけで、何もしないで外に出すことを

  良しとする理由にならねえだろ!

  全くもって、筋の違う屁理屈こねんなYO!

Q,法学は何も、自然科学のような客観的根拠を持たなくともよい

A,ただの詭弁

  それは一般論としては成立しても(例えば裁判の判決についてとか)

  この特定された問題においては、通用しない

  個々それぞれが判断されるべき問題を、一般論で塗りつぶす詭弁

  「社会のルールは客観的でなければならない」という命題を

  その一般論で否定できないことは明白でしょ!

  アンタの話が正しいと仮定するなら、憲法や法律は

  客観的な根拠を持たずに決めていいって事になるが

  推論はどんなデタラメでも成立する(「猫は魚だ」系のやつ)

  そうやって推論さえ成立すれば、合理的と看做して

  それで法律作ったり、法改正していいのか?

  詭弁だと分かってわざとやってるならまだしも

  真剣に言ってるなら、頭使って生きていく仕事は辞めた方がいいYO!

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◆犯罪者が更生したと、誰が判断できる?

同じことを私にいった、愚かな憲法学者がいたw

そう言うなら、今の刑法・刑罰を

全否定することになるよw

私の唱える、更生教育刑も、今の刑法・刑罰

どちらも目的は同じだから

簡単にしていうと、「社会の安寧を図る」だ

現行制度は、一定期間

社会から犯罪者を隔離し

これだけの間、塀の中に入れていれば

反省して再犯しないだろう

そうやって、社会の安寧を図ろうとしている

更生を誰が判断できるの?

だから、更生教育刑は絵に描いた餅だ

そういうのであれば

この司法の判断(今の量刑)を

否定しているのと同じなんだな

死刑問題に取り組んでる憲法学者

何をゆーてんねんと、唖然としたわ

誰もが更生してきたということは

これまで述べてきた通り

なのに、凶悪犯罪者だけ更正しないと考えるほうが理不尽

少なくとも、現行制度(何もしていないに等しい)より

積極的に更正を働きかけるのだから

更正教育刑の方が、「よりよい」ということは

小難しい話を置いといても、猫にでも分かる話

どんなことを言ったって

更正教育刑への改革を、否定できない

◆死刑のほうが安上がり?

コスト論は、死刑の存廃論議に関係ないっちゅうねん!

これも、小学校や中学校の算数、数学的な理論レベル

社会の仕組みについて問うているわけだから

社会全体から切り離し

個別的事例だけみて

一人の犯罪者をどう裁くかだけみて

死刑のほうが安いかどうかなんて

どうしようもない、全くの論理的な間違い

現在、いろんな犯罪で再犯が存在することを考えれば

更生させて塀から出せば

再犯に関する費用が減らせる

捜査、逮捕、裁判、監修なんかね

逆に、費用はかからなくなるんじゃないかと思うけど

もちろん、そういう試算をすることは不可能

どちらがお金が掛かるか

現実的に試算なんて不可能なのに

主観でどちらが掛かるとかいうことこそ、愚かな行為

そして、お金が掛かかる・掛からないは

この問題には関係ない

制度の効能を問うているわけだからね!

それを二の次にして

経済コストを優先にするのは

もうどうしようもない、論理的な逸脱

刑法・刑罰は、制度的インフラだよね

道にガードレールを作ることは、物理的なインフラだ

ガードレールの効能を脇に置いて

金属でつくればコストがかかるから

木や紙でつくろうって話になるかい?

ならんやろ!

だけど、こんな幼稚なレベルのことを

アメリカなんかでは

研究者レベルが、大真面目に

死刑のほうがコストがかからない

いや、死刑を廃止したほうがコストはかからない

なんてやってる

んっとに!

法学周辺の死刑論議なんて、児戯にしか見えない

「節税」という観点でいうならよ

社会全体を見渡して、税金を減らす優先順位をつけるわな

これも財政の基本やな

刑罰にかかるコストが、いのいちばんに来てるなら

そのとき、はじめてそういう話題が出るなら

まだ、分からんこともない

でも、それでも筋違い

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参照

【転記】死刑では何も解決しない

【転記】死刑による犯罪抑止効果は本当にあるのか?

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完璧な判断など、誰にも出来ません

比喩として、神様しか出来ないと思うしているのです

そして次が肝心ですが

そういう、完璧な判断が出来るか否かは

更生教育刑の良し悪しの判断には、全く関係ないと

申し上げているのです

完璧にミスを赦さないことは不可能で

それをダメだといえば

社会的な制度は、全てダメだということになります

死刑制度もそうです

冤罪がありますからね

冤罪は、手続きの問題であって

死刑制度の良し悪しとは

これまた、別の話で関係ないのですけれど

>“更生度合いを客観視する方法”を提示できない時点で法制化なんて無理ですよ

それすらも、論旨に関係ありません

今の刑罰も、更生を主目的にしておりますから

更生を目指すことがダメだというのなら

日記本文でもコメント欄でも説明してきましたように

この世の全ての罰を、全否定することになります

本文の「◆罰の目的は更生」

この段落を中心にお読み下さい

更生教育以外に、社会秩序の安寧の観点から

罰の目的を定めることは不可能

それだけが唯一の基準となっている以上は

何もしていない現状より

更生教育を積極的に取り組む方が

より再犯を防ぐことに効果があることも

これまた、自明な理です

ゆえに、客観的な判断がどうだというのは

今の刑罰を、より完全な更生教育刑に切り替えるという主張に

関係ないのです

それはそれで、研究も進め、精度を高めていけばいいという話です

更生の定義は

「再び同じ罪を犯さない=更生」

です

この文章をよくお読み頂ければ

普通は読み返さなくても解りますが

最終的には、結果論でしかありません

だから客観性を求めるのなら

更生教育刑の導入前後の、統計を比べることしか出来ません

以前にコメントしました通りです

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度量衡こそが、更生だと

日記本文で説明しているんですけどね

ひょっとして

度量衡の言葉の意味を、理解できていいませんね?

度量衡とは、数の比較を客観的に行う際に

必要なものであって

数の比較でないものに、適用されるものではありません

刑罰は数を扱っているにも関わらず

数の比較は不可能なので

度量衡は設定できないという話です

刑罰には客観的な根拠が必要で

法の仕組みから説明をして

更生しか、罪の基準はおけないと思うしているのです

更生は、数ではありませんから

度量衡とは関係ありません

更生の度量衡は,「更生」ですよね。猫王さんも何度もそう書いてます。

したがって度量衡はあります。ゆえに客観的です。

では,その中身の更生度合いについてはどう判断するの?という趣旨の質問が繰り返されているのだと思いますが,それにも猫王さんは繰り返し答えています。

要するに,それは専門的・技術的な判断が必要な部分であって,更生の専門家じゃないんだからわかるはずないですよね。

そして,客観的であることと,完璧であることは同義ではありません。

たとえば,「これこれの症状がある場合は,○○という疾患である可能性がある」という判断基準は客観的です。

しかし読めばわかるように,これは判断結果の完璧性を必ずしも担保したわけではないですよね。

で,判断基準が客観的かどうかは,素人でも論理がある程度扱える人であれば判断できます。

どの程度の確実性があるのか,完璧なのかについては専門的な見識が必要であり,素人ではわかりません。

社会的に判断がなされ,何らかの処分がなされるような場合に,判断内容の確実性とか完璧性についてはわからなけれど,その判断基準の客観性について欠けていることがあればそれを批判するということは,素人による社会批判として健全だと思います。

つまり,この日記は,いかにして更生したと判断できるかの実務的なことはさておき,原理的に,死刑の是非について論理的な批判をしているわけです。

そういう趣旨は本文やコメ欄にも記載がありますし,だからこそ,更生度合いはどうするのか,それに答えられなければこの日記の見解は失当だとでも言わんばかりの批判が,そもそも前提を欠いており失当なのです。

純数学的にはね

私がよく言ってる、「数の概念」の理解の話ですけど

だいごさんもそういうのを読まれたことから

そういうご意見をなさったのかも知れませんが

そうでなくてもどっちであれ

純数学的な、数の概念でいえば

数は、現実の抽象化ですから

数でなくとも、現実を抽象化できればいいので

数で表された現実の本質(抽象化)と

数以外で表された現実の本質(抽象化)は

意味的には同じなんですよね

なので、更生を度量衡と呼んでも構わないのですが

ここでは(私の日記の論旨では)

説明として、度量衡を文字通りの意味で

数量の比較を客観的に行う方法として

その一般的な使われ方において、度量衡という言葉を使っているので

この意味においては、更生を度量衡と呼ぶよりは

「基準」(刑罰体系の理論的基準)と呼ぶ方が

論旨に即していると思います

意味的には、どっちゃでもいいっていえばいいんですけど

解説文的には、更生を度量衡と呼ぶのは

適切でないという印象です

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法を含めた社会の制度は

人権をその設計の基礎に据えます

たとえ、多くの意見が人権を否定しようが

それは社会的合意として採用されません

それが、法の大原則でもあります

人権を保障する

その原則のもとに

社会の制度は成立しております

だから一般論として

多数だからといって

その意見は通らないんですね

死刑問題の中心は

社会の継続(社会の再生産)という

社会問題の全ての基礎からみて

考える事と

もう一つは、人権なのですが

人権を語ると、余計に基本的な前提知識もなく

被害者の人権はどうだとか

加害者の人権は守るのかなど

荒唐無稽な方向に議論が進むので

あえてそのところは、日記では省きました

判決が出るまで、加害者は決定しません

無罪であるかも知れません

裁判の場で、真実が明るみにでるまで

被疑者(容疑者)の人権を最大限に保障しないといけないということは

万人の、冤罪被害から身を守るために必要なことです

犯罪者個人に着目していると

こういった道理が見えなくなります

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◆ひとり言

時折まざるマイ法律を語るやつにもウンザリだ

物事には、主用な要因と副次的な要因があるが

平易化と短くするために、主用な要因しか語っていないが

副次的な要因を持ってきて否定するのは詭弁

問題を規定するのは、主用な要因だから

論理的思考の基礎が出来ていないか

基礎的な法知識に欠けているのか

もしくは、悪意あって意図してやってる詭弁

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参照

【転記】刑罰の、最原理論的な解説

【転記】科学の方法