科学隊

ささやかな科学と哲学のバトンを渡すための情報交換の場所です。

【転記】刑罰の、最原理論的な解説

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『なぜ人を殺してはいけないのか?』

なぜ人を殺してはいけないのかを

詳しく、且つ猫にでも分かるようにやさしく解説しますYO!

◆なぜ人を殺してはいけないのか?

それは、社会が継続できなくなるから!

◆人が労働を通じ、助け合うことが前提として成り立っているのが今の社会だ

人ってのは、働かないと生きていけないよね

昔なら狩りをして直接、食べ物を得る

今なら仕事をして、お給料を得て、それで生きていくためのものを揃える

現代はそうやって、生きていくために必要なものを

社会全体で、分業しているよね

原始の時代や動物みたいに

一人、一つの家族だけで

生きていくために必要なすべてを賄うわけじゃない

農家は自分で食べ物をつくるけど

電気や服、その他もろもろは他の人がつくる

◆もし人を殺して良いとなると

先に示した、社会が継続(社会の再生産)していくための

前提条件が崩れる可能性が出てくるよね

気に入らないからといって

銀行家を殺してしまえば

(個人的に銀行は、大嫌いだがw)

信用経済が発達した現代では、経済が回らなくなるよね

農家を殺せば、食べ物が手に入らなくなるよね

誰かを自由に殺せる社会は

社会の継続(社会の再生産)を、不安定にさせる

だから殺しちゃいけないの!

全ての犯罪も、これが客観的物理的、絶対的な根拠となっているよ

社会の継続(社会の再生産)を脅かすものが

特別な例を除いて、犯罪を犯罪たらしめる根拠となっている

◆個人に着目するから分からなくなるのだ

この世に二人しか人間がいなくて

一人が、もう一方を殺したとして・・・

それと同じ論理構造で考えるから、分からなくなるんだよね

この場合、どこをどう探っても

殺しちゃいけない、客観的、物理的、絶対的な根拠がみつからない

だけど人間っていうのは、社会がなければ生きていけない生き物だよね

社会が、人間という存在の前提であり

人間の属性でもあるわけだ

ゆえに、個人的視野ではなくて

社会的視野で、考えないといけない

全ての社会問題も、よくこういう思考方法の論理的間違いが起きる

◆さいごに

こんなの、法理(法哲学)の基礎中の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎じゃないか!

法に限らず、全ての社会科学のもっとも基礎だ

近頃の法曹や法学者は、本当に馬鹿ばかりだ

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◆余談

以上のことは、現代社会においての話だが

いつの時代も、必ずしも殺人が犯罪となるわけではない

人間が原始の時代、まだウホウホ言っていたころ

食料を得ることが難しくて

ときには、ある部族が他の部族を襲って

人間の肉を食うことで、生き延びていたようなこともあったそうだが

そういう時代では、その一つの小さな社会(氏族であったり家族であったり)が

継続していくためには

略奪も殺人も食人も必要なことであったので

殺人はいけないよと言ったところで?

ウホッ?(お前、何いってんだ バカ?)

としか、ならない

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『刑罰の、最原理論的な解説』

法原理のもっとも深いところの解説です

扱う人の専門によっては

これから書くものを、哲学的解説といい

またあるものは、法哲学的解説といい

哲学の完成形としての論理学的解説ともいうだろう

まあ、そのどれでも自分の得意な分野で考えてもらってもいい

表現が違うだけで、どの分野的に捉えても

中身に違いはないから

◆社会のルールとはなんぞや? 

~自然物と社会的存在の違い~

社会のルールは、人間が任意に、勝手に作ったもの

「勝手」というのは、自然にはないものだという意味

呼吸というのは、生物の自然的属性だよね

誰もがそうするし、しなければ存在そのものを否定する

一方で、「社会的ルール」は、社会的属性

世界から隔絶された孤島では

世界のルールは及ばない

その島に漂流したものを殺そうが

強制的に罰せられることはないし

世界のルールに反している、殺人という行為を働いても

「呼吸」のように、それをやめれば(反すれば)

存在すら否定されるものじゃない

だから、社会的属性であるルールは

そういうモノがありますよと

経験(学ぶ)することでしか

理解できない

だから、誰もが自然にルールを破るわけだ

※(ココが一番むずかしい)

神さま以外には、生涯に一度もルールに反しないなど、ありえない

また、ルールを強制したところで

バレなきゃ良いとする者は必ず、社会の中に現れる

ルールは、なぜ破ってはいけないかを

理解するからこそ保たれる

それはなぜかというと

繰り返しになるけど

ルールは、自然的存在じゃないから

社会的存在だから

罰では統治できないことの理由もコレ!

罰というリスクを犯してでも、得ようとする利益があれば

そしてそれを得なければならない理由があれば

それに挑む者が出てくる

ココに、刑罰だけでは、刑法という社会のルールの目的である

「社会の安寧」を、守れないことの根拠がある

社会が、不当な行いまでしても利益を得ようしないで

みんなが済むようでなくてはいけない

刑法・刑罰(とその実行力。警察力とかね)という

社会のルールの中の一部分だけに

社会の安寧を守るという任務を負わせても

その目的は果たせない

◆なぜ人を殺してはいけないか? なぜルールを破ってはいけないか?

ちょっと戻るけど

これって、「人を殺してはいけないの?」という

確か日本の学歴の二大頂点の、西の方で起こり

全国に広まった、なんでこんなもんも分からへんねんという

アホな論争と同じなんだよね

じゃ~なんで犯罪を犯してはいけないかと言えば

それは、人間が社会的存在だから!

個に注目すれば、上の絶海の孤島の例えのように

殺人、犯罪も、それがダメだとか言えなくなる

だけど、人間は野生動物(厳密にはこの例えもおかしいかも知れないけど)

のように、個的存在じゃない

ばらばらで、個の力だけで存続を図っているわけじゃない

社会を営むことで、共依存することで

人間という存在を、存続させている

だから、そこにはルールが必要なの

だけど、そのルールは最初は任意のもので、いい加減なものだ

社会の一部の者、誰かだけに都合が良いもので

ほかの誰かにとっては、不都合だったりする

社会の発展とあいまって、経験的に

そのルールは、客観的、合理的なものへと発展する

それ(客観的、合理的なもの)が、「人権を侵害してはいけない」ということ!

人を傷つけるのも、殺すのも、お金を奪うのも、所有物を壊すのも

み~んな、人権侵害

脱線することになるから、ここは説明しないけど

自分で勉強してみてね

すべての罪は、人権侵害だから!

今のわが国の憲法も、単純にそれ(人権侵害しちゃダメよん)を言い表しているし

世界のルールも、そうだし

そうじゃない国であっても、不可避的にその方向に進んでいる

人間は社会的存在だから、他者と依存し合っているわけだ

そこで、「誰かを殺しても別にいいじゃん」となっちゃうと

依存相手を社会から排除しちゃうことになる

殺人をダメというルールを設けないと

社会の存続を危うくする

だから、犯罪(人権侵害)

アホで低俗な議論でいうと

「人を殺してはいけない」と、なるんだよ

「なんで人を殺しちゃいけないの?」

なんて迷うのは、社会的存在である人間を

個でしか見ていないから

人間は、個でみることのできない存在であるのに

◆最後に

凄く脱線したように見えるけど

上の、「なんで殺したらアカンのん?」という説明は

全体を理解するのに必要だからね

どうしても長くなるのよん

ゴメンちゃい

上の

>社会の安寧を守るという任務を負わせても

>その目的は果たせない

ココまで戻る

・社会のルールは、誰もが違反する

・違反が、人間の存在を危うくするものだという理解(学習)なくては、守られないこと

・同時に、ルールをあえて反しなくても良い社会でなければならないこと

・今の刑法・刑罰体系に、度量衡(基準)がないということ

最後の度量衡(基準)について、もう少し説明すると

純金100gといえば、これは世界中でその物理的性質と量は全く変わりない

だから、重さの度量衡は、基準となれるよね

現行の刑法・刑罰には、そのような

量刑を定める、客観的・合理的な基準がないということ

言い換えるなら、罪の重さを量る度量衡がないということ

詐欺罪なんかは、騙し取られた金額の比率

(片や被害金額が100万円、もう一方は500万円、五倍の比)

この比によって、重さを量れるように見えるかもしれない

だけど、性犯罪と詐欺罪とでは、どうやって測るの?

性犯罪が懲役二年、詐欺罪が四年だとして

この二倍という比は、何を度量衡にして導き出したの?

ないんだよね

今の刑法、刑罰の体系が、おかしいということ

刑法の目的は、簡単にいうと「社会の安寧を守る」

この刑法のそもそもの目的と

以上の話を踏まえると

更生したのかしないのか分からない

今の単純な罰では、その罰の量を変化させたところで

目的を達することが出来ないことは明白だ

(ココに関しては、私がよく書いている日記を参照してください)※1

今の、罰すればいいという(経験的に更生教育の比重が高まってきている(道理に従ってそうなるのは当然だけど)けど)

その罰の恐怖によって社会の安寧を守ろうとする今の刑法・刑罰が

いかに道理に沿っていないか、社会という実在物に沿っていないか※2を

法原理論の、もっとも根本の部分で説明してきました

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◆余談

上でルールの歴史的成り立ちにあたる部分の解説をしたように

社会のルールは、経験則的に成立する

だけど法学、原理論は、その成り立ちとは真逆に

原理的、法則的なところから始まる

現実の歩みと、理論展開は

順序が逆になるというのは

これは科学の原則というか

科学の方法論の鉄則というか

そんなもん

これから逸脱すれば、それは間違った方法論

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私は、「倫理」には興味ないんです

客観的事実、合理的で確かなもの

そういうものだけが、社会を変える力を持つので

「科学」にしか興味がないのです

「変える」と言ったって、人間が社会を

恣意的に変えていくことは不可能です

あくまでも、社会の構造に内包する

法則性に従って変化していくのです

その変化を早めるのが、人間の活動で出来ることです

社会はなぜ科学であるか

社会の中にある普遍性と、対象の移り変わり(法則性)

それを扱うから科学なんです

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※1

【転記】刑法・刑罰体系の致命的欠陥

※2

【転記】法解釈の複数性

参照

【転記】+法原理の解説 社会のすべては経済関係が土台+